掃除当番
理科を担当する門桝先生ははたきを片手にそう言った。
「はい。よろしくお願いします」
と、私は答える。
この理科準備室の掃除は、いつの間にか一人でする仕事になっている。
おそらく門桝先生が温和で、掃除を手伝ってくれるし、何よりサボっても何も言わないから、一人も行けばそれで良いだろうということなのだ。
慣れた様子の先生はそれきり何も言わず、一人でパタパタはたきを振るっている。
「先生」
私はつまらないので、何事か話しかけてみる。
「先生は彼女はいるのですか」
他愛もない話だ。
先生は振り返ってにっこりと笑みを作った。
「いません」
「必要だと思わないのですか」
「何故必要だと思うの?」
「何故でも。先生は大人だから」
「君は意外に、子供のようなことを言うね」
「子供ですから」
私は開き直った。
「大人は恋人によって自分を安定させているのだと思っていました」
「うん。間違いではありません。
特に一人暮らしなどしていると、誰も自分を見ていてはくれない不安に襲われるんだ。
だから恋人がいて、それで自分の存在を確定できる人は幸せだと思うよ」
「でも先生には必要ないのですか」
「必要なくはないよ。ただ、今はいなくて、いないことに不便を感じないだけ」
「そうですか」
「でも、僕に彼女はいません。ごめんね」
先生は何故か謝った。
私は首を振って、
「いえ、良いんです」
と言った。
「じゃあ先生は、友達はいますか」
「それはいます」
「何故ですか」
「何故ってことはないでしょう」
ふふっと笑って、先生は言った。
「友達がいないと寂しいでしょう?」
「寂しいですか」
「うん。君は?」
「私は、そうでもないです」
「君は一匹狼か」
「そのようです。その方が平和です」
「ホントかな」
「先生は違うようですね」
「うん。君の平和と僕の平和は少し違うようだ」
はたきを振りながらぐるりと一周した先生は、今度は物干しから雑巾を取り上げて水道水で濡らした。
私はまだ箒で掃いている。
「僕は周りにたくさん人がいてくれるほうが、安心するな。
勿論人それぞれだから、君のが悪いと言ってるわけじゃない」
雑巾で机を拭いてゆく。
「例えば病気をしたとき、誰かがお見舞いに来てくれると嬉しい。
例えば仕事でミスをしたとき、誰かがフォローしてくれると助かる。
それは弱さなのかもしれないけれど、弱いからこそ人のありがたみが分かるんだ」
「弱さを受け入れるのですか」
「受け入れないと生きていけない。
それが人間の虚しさかもしれないよ」
私は黙って掃除を続けた。
先生もそれきり何も語らなかった。
窓から夕日が眩しいくらい差し込んで、二人して目をすがめた。