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宇田川君

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殴りてぇな、と思った。
 後輩の宇田川君はとにかくダセェ。
 いつも襟首が黄ばんだシャツの裾をきっちりズボンに入れて、そのズボンだってやけに丈が長くって引きずっているし、一度お前そのズボンどうにかなんないのって訊いたら、ああこれ兄貴のお下がりなんで仕方ねえス。と返された。つったってお前、デカいのは直せるだろうよ。結局だらしねぇだけじゃねえか。
 そんな宇田川君だから、殴りてぇな、と思う。
 それでも宇田川君は何故か俺に懐いていて、昼休みになると一年の教室から三年の教室まで犬みたいに嬉しそうに走ってくる。
 毎日のことだから誰も何にも言わねぇけど、俺は実は密かに宇田川君は教室でいじめられてんじゃねえかな、と思っている。
 宇田川君の服は時々酷い具合に汚れている。コケたんス、と言うけれど、それは嘘だろう。高校生男子がそんなに頻繁にずりずりになるほどコケてたまるか。
 宇田川君は教室でいじめられているから先輩の俺のこと避難所みたいに思ってんじゃねぇかな、と思うと、てめえ勝手に避難しにきてんじゃねぇよ、と理不尽な怒りが湧き起こる。
 だから俺はやっぱり宇田川君を殴りてぇな、と思う。
 しかも宇田川君は馬鹿みたいに頭が良い。一年坊のクセに俺の宿題を簡単に片付けてしまう。
 でもやっぱり馬鹿と天才は紙一重だから、時々すげえ馬鹿なことで泣いたりする。こないだ飯食いながら突然泣き始めたから、なにお前は何なの。つったら、俺達普通に飯食ってんスけど、難民キャンプとかじゃちゃんと食えねぇ子がいるんスよ。とかワケの分からないことを言われた。
 宇田川君のクセにそんな風に世界に目を向けているとか、馬鹿だけど、すげえ馬鹿なんじゃねぇかと思うけど、それでもやっぱり生意気だと思う。
 だから俺はまた宇田川君を殴りてぇな、と思う。
 とにかく宇田川君はいじめられっこのクセにいつもへらへら笑って悩みなんてなさそうだ。見たこともない難民キャンプの子供のために泣くくらいだから、頭の中が幸せなんだろう。
 だからその能天気そうな顔を見ていると、唐突に殴りてぇな、と思う。
 ぐっとこぶしを握り締めて、じっと宇田川君を見ていると、ああこれこのままボコボコにしたら俺すげえスッキリするんじゃねぇかな。と思う。
 でも俺は宇田川君を殴らない。
 絶対殴らない。
 理由なんてねぇけど、宇田川君は俺には殴られないと思っているし、俺は宇田川君を殴らないんだろう。
 そんなわけで宇田川君は今日も俺のところに走ってやってくる。
 まるきり馬鹿犬みたいな面で嬉しそうに走ってくる。
 今日も制服は泥だらけになっている。
 俺はいつか宇田川君をいじめてる奴らをボコボコに殴ってやりてぇな、と思った。
作品名:宇田川君 作家名:ハル