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喫煙者の倫理

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柔らかな肌を、抱擁を、求めていた。望むべくもないとわかっていながら、望まずにはいられないのだ。それがないと生き抜いていけないと、本能的に知っている所為だ。数也は、そして誰もは。
 キャスターの箱の端をとんとん、と叩く。逆側から飛び出してきた煙草を咥え、百円ライターで火を点けた。一日に四百円超を消費するこの行為を馬鹿らしいと笑う奴もいる。止めろと眉をしかめる奴もいる。彼らはきっと知らないのだ。喫煙行為が何に伴うものなのかを。喫煙者全体の論理として語るのは驕りだろうか。そうであるかもしれないし、あながち間違っていないかもしれない。
 数也のこれは母性への憧れだ。必要とした歯固めを与えられなかったことに対する代償行為。自分では否定できないしする気もない。けれど他の仲間は? 喫煙者全体の総意は決して得られない命題だろう。そして数也は今日も煙を吸い込む。許されなかった過去を、親を奪った姉への恨みを、一緒に。


 姉は聡明な少女だった。同時に、波乱をもたらす不幸の星だった。彼女の目覚めは早く、二つ違いの数也が十年の歳を生きる頃には、既に家族は彼女の暴走を中心に回っていた。早すぎて、長すぎて、苛烈すぎる戦いだった。
 反抗期。子育てにまつわる用語で言うならその一言に尽きる。けれど数也の姉、朱音のそれがもたらすものは、育児の型を遥かに凌駕するものだった。
 彼女の反抗は根強く、そして激しかった。十歳を過ぎた頃には親と教師を敵に回し、中学に入る頃合には同い年の学友さえも敵として戦っていた。当然多くの人から遠巻きにされ、それを許されない家族は彼女をどうにかしようと奔走していた。
 当然のように、数也もその一人だった。朱音は彼の姉だ。たった一人の姉弟だ。どんなに拒絶したところで目に入る。今思えば、無視することも無関係して飄々と生きることもできたはずだったのだが。
「放っときゃいいんだよ、それが一番賢いぜ」
 とは、友人の勝沼雄吾の言だ。事実彼は、実兄を見事無視して彼自身の人生を謳歌している。
 雄吾と自分の違いは何か。考えたところで答えは出てこない。彼も数也も同じ旧帝大、同じ学科の所属である。進学のために生まれ育った家を出て独居しているのも共通項だし、互いの郷里は所謂地方の雪国、冬になれば豪雪で閉ざされる地帯だ。性格の相違と言ってしまえばそれまでだが、数也は理系畑の人間を自負しており学んでいるのは生物学だ。性格を根拠とするのならば、二人の性質を隔てるものの存在という壁にぶち当たる。つまりは相違点よりも共通点の方が多いのだ。
 考えたところで答えは出ない。数也は諦めていた。そうやって、傍観者に徹するしか彼に生きる術はなかった。
 彼自身が十歳を過ぎる前に、両親の関心は朱音に向いていた。当たり前だ。次から次へと何かしらしでかす子供がいれば、そちらに目が向くのは致し方ない。だから数也は、格別の感情を向けられずに育った。彼が両親から向けられたのは唯一つ、「安心」という名の思いだけだ。大げさな反抗もせず、成績優秀で、予想の範囲を超えることがない。


 数也自身、そんな自分に不足はない。大した挫折もなく出身地方でも指折りの進学校へ通い、姉よりも余程偏差値の高い大学に進学した。そして今、親元を離れ自由を謳歌している。姉のような苦難を味わうこともなく。
 それでも、不意に思うのだ。もし姉がいなかったらどうなっていたのかと。中学の時分、親や教師に逆らっていた同級生のような青春を過ごしたのだろうか。目には見えない拘束への反発を、自身のものにしていたのか。同じ年代の頃の姉がしていたよりは余程薄いが、自分の辿った道とは比ぶべくもないほど濃密な時間を過ごしていたのではないのかと。今の自分が嫌なわけでは決してない。けれど、親の理想を絵に描いたような今の「早坂数也」は彼本来の姿ではない。親の予想をことごとく裏切る早坂朱音に作られたものではないのか。もしも朱音がいなかったら、母親はもっと数也に目を向けていたのではないか。彼のことを放っておいてもいい人間として扱わなかったのではないか。
 疑問は尽きない。それを検証する手段も、今となっては皆無である。もうどうしようもないことなのだ。理屈ではわかっている。ただ、時折感情が暴走する。そして反抗するという手段も持たない数也にできるのは、紫煙を吸い込んで吐き出すことだけだった。
作品名:喫煙者の倫理 作家名:霧谷眞也