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15年先の君へ

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その8




善は急げだとか何とか言って、新羅は放課後の勉強会を早々にお開きにした。
俺は仕方なく、人影の見当たらない屋上へと向かい、フェンスに凭れて夕暮れの空を見ていた。
右手には、携帯電話がある。
押してしまえばいい。リダイアルをして、ボタンを押すだけだ。周りには誰の気配もない。
俺は腹の中にある息苦しい感情を全て吐き出すかのような、深く長い溜息をついた。
よし、と顔を上げる。携帯を押し開き、ボタンを操作した。
耳に当てたそれからは、短いコール音が響く。繋がらなかったらどうするか。もし繋がったとして、切られたら。嫌な予感ばかりが脳裏を過ぎり、情けないことに携帯を持つ手が震え始めていた。
永遠かと思われた呼び出し音は、不意に途切れた。もしもしと、聞き慣れたあいつの声が聞こえて、思わず息が止まる。

『どうしたの、シズちゃんからかけてくるなんて珍しい』

その声は、どこまでも穏やかだった。俺からはかけるなという約束を破ったことで、もしかしたら怒鳴られるかもしれず、あの夜聞いた、憎しみを吐き出したかのような声音だったらと想像していた俺は、少し、拍子抜けした。

「…おこらねぇ、のか?」
『怒って欲しいの?』

クスクスと、笑みを含ませた声が返ってくる。俺はそれに全身で脱力した。凭れたフェンスがギシリと歪み、慌てて姿勢を正す。

「…手前、今どこにいんだよ?元気にしてんのか?」
『あぁ、場所は言えないけど健康そのものだよ。心配してくれたんだ?』

グッと言葉に詰まる。茶化すような言葉に、以前なら誰がそんなことをと怒りを覚えていたが、今ばかりは素直に口を開いた。

「そうだよ。悪いか」

照れ隠しからかぶっきら棒な答えになる。どうして自分はこうなんだと、可愛さの欠片もない声音に嫌気が差した。先ほど俺を可愛いなんて評した新羅を、憎みたくもなる。
ふと、電話の向こうが無音になる。不思議に思い、名前を呼んだ。

「臨也?」
『…うん、ごめん。吃驚しただけ。素直な君って、調子狂うなぁ』

笑い声と共に告げられた言葉に、今度こそ怒りを覚えた。アァ?と聞き返せば、冗談だと繰り返す。
臨也の笑い声が収まると、俺もあいつも無言になった。電波に乗せて、何の音もしない。
おかしな話だと思う。あいつの声はこうして聞こえるのに、どんな顔で話しているのかも容易に想像できるのに、どうしてここに居ないのだろう。
手を伸ばして触れる位置に行きたい。壊さないように触れて、そっと安堵したい。
緊張して冷たくなった手のひらに、グッと力を込める。いつの間にか握り締めていたフェンスが曲がってしまったのだが、それに気付くのはもう少し後の話だ。

「なぁ、」
『シズちゃん』

俺の声に被さるようにして、臨也が口を開いた。意気込みを削がれた俺は、少々鼻白みながらも慌ててなんだと答える。

『…旅行、行こっか』

それは思いがけない言葉で、俺は瞬時に理解することが出来なかった。
え、と口から零れた疑問符に、臨也は穏やかな声音のまま続けた。

『3日間だけ。学校休んじゃうけど、それでいいなら』
「行く!」

願ってもない誘いだった。勝手な理由で学校を休むことには気が引けたが、臨也の所為でほとんど授業に出ていなかった俺にとって今更である。
即答した俺が可笑しかったのか何なのか、電波の向こうから笑いを堪えたかのような声が聞こえた。

『ありがとう、シズちゃん』
「なんで礼なんか」
『あぁそうだよね…おかしいな』

あいつに釣られたのか、ふっと息が零れる。
夕日を見ながら、知らないうちに俺も、笑っていた。


作品名:15年先の君へ 作家名:ハゼロ