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復讐

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『復讐』

ある年の秋のことである。Xは一度に妻と娘を亡くし絶望の淵に落とされた。若者のYによって刺し殺されたのである。
事件後、Xは過ぎし日々を思い出しながらどれほど涙を流したことか。特に夜、華やかな都会の夜は残酷なまでに孤独だ。独りでいる時間が多すぎる。その独りの時、Xは暗い部屋でずっと考えていた。なぜ、妻と娘はなぜ殺されなければならなかったのかと。

Yの裁判が始まった。
弁護士は単なる事故を主張した。なんということだ! 弁護士によれば、犯人もまた被害者だというのだ。というのも、殺人者が麻薬中毒による心身に障害をきたしているというのである。弁論を聞いて、Xの心はずたずたに引き裂かれた。もう二度と立ち直れないほどショックを受けで二度と裁判に出なかった。

 日本の裁判は長く掛かる。二年が過ぎて。ようやく判決が出た。犯人は無罪になった。予想されたこととはいえ、Xの心は再び引き裂かれた。住み慣れたマンションを売り、引っ越しした。とにかくやり直そうと決心したのである。

 Xは、偶然、ひとりの美しい女に出会った。会社主催のゴルフのコンペである。三十少し前で、名は洋子といった。ショートヘヤで理知的な顔立ちをしている。大事な取引先の娘であった。洋子の方からXに近づいてきた。洋子の趣味は意外にも射撃だった。
「射撃している時が一番好きなの」と洋子は微笑んだ。
「どうしてですか?」とXは躊躇いながら聞いた。
「射撃をしていると全てを忘れることができるから。あなたも射撃をやりません?」と微笑んだ。
Xは射撃を始めた。そして、洋子と飲み仲間にもなった。

そこは高層ホテルのバー。洋子は派手な赤い服を着ていた。それが妙に合っていた。
時間はどんどんと過ぎていった。
「結婚しないのか?」とXが聞くと、
「いい男がいないから」と微笑んだ。
「あなたの瞳は不思議ね。どこか遠い国から来た人みたい。私はこの東京から出たことがないの」
 Xは黙っていた。
洋子は話を続けた。
「そして、異国の人とは付き合ったことがないの」
洋子の寂しい横顔が窓に映った。
「どうして?」
「父が許してくれないのよ……」
 話はそこで途切れた。
Xはまだ若かった。しかし、洋子を口説く気はしなかった。まだ心の中に妻と娘がいたからである。
都会の明かりが時間とともに一つ、二つと消えてゆく。
Xは酔った。洋子も酔った。
バーが閉店した。
洋子はホテルの部屋を予約し、Xを部屋に泊めた。
二人は静かに眠りについた。
朝、洋子が目覚めるとXの姿はなかった。
洋子の服は乱れていなかった。悪い夢を見たような不機嫌な顔をした。カーテンを開け、空を見た。曇り空だ。 
たばこを吸い始めた。ベッド中で軽く口づけをしたのを思い出した。でも、それだけだった。

Xはアパートで銃を拭きながら、同じ空を見ていた。誰にも知らぬ間に銃を買ったのだ。それは復讐のためだった。復讐? そうだ。復讐のためだった。いや、世間では更生したといわれていた。しかし、Yは演じていたのだ。更生した人間を。
 数日前、XはYに会いに行った。そのとき、「君は更生なんかしていない」とYをなじった。
「どうして、そんなことが言えるんですか?」とYはほくそ笑んだ。
そのとき、Xは絶対に更生はしていないと確信し殺すことを決意した。

誰も知らないもう一つのXの顔。復讐の炎に焼かれたもう一つの顔。それはXに心を寄せている洋子も知らない。
復讐の相手であるYは全てを忘れていた。良く言えば楽天家、悪く言えば単なる阿呆。何よりも若かかった。何もかも忘れてやり直しがきいた。それに恵まれていた。父が保守系議員のボス的存在で、家はその地方の素封家として知られていた。父親が有能な弁護士を雇って、無罪をかち取った。裁判が終わると、父親は医師の娘と結婚させた。あの忌々しい事件、父親も殺人者であるその息子もただ単なる事故程度しか考えていなかった。  真の悪党は善人の顔しているものだ。父親と息子は麻薬中毒で被害者の役をものの見事に演じたのだ。しかし、どんなに演じても演じ仕切れるものではない。殺人者が何も反省していないことが人伝に漏れる。

 秋と冬の境、冷たい風が吹いていた。洋子は父親から結婚を迫られていた。が、洋子は好きな男がいるからと断った。誰だと問われたが、今は言えないと答えた。
洋子は結婚話のことをXに話し、好きだと告白した。いつかこうなることが分かっていた。Xは自分の過去を初めて話した。洋子は驚いたが、すぐに気を取り直して、「忘れられないの?」と問うた。
Xは笑って答えなかった。
「僕より他にいい男がいるよ」と言って去った。
次の日、洋子がXの部屋を初めて訪ねた時、既にそこにいなかった。会社に電話をしたら、男は既に退職したという。洋子は不安が過った。

数日後に、一人の男の復讐劇が新聞を賑わせた。それを読んだ洋子は、新聞を切り裂いた。Xの不思議な、どこか遠い国から来たような不思議な瞳。あの瞳に洋子は魅せられたのだが、あれは過去を見ていたのだと気付いた。その瞳の過去を見ながら、復讐の炎を燃やし続けていたのだ。



作品名:復讐 作家名:楡井英夫