これでおしまい
05: お ま え の 勝 ち さ
「そういえば、」
ふと思い出したように、アッシュが声を出した。
ナタリアは書類整理をしていた手を止めて、アッシュを振り返る。窓から差し込む昼間の陽にきらきらと金色の髪は光り、それを見ながら、言葉を続けた。
「ナタリアは賭けの話を、知ってるか」
「まぁ、それは……もしや、ルークの?」
ナタリアは意外なところで察しがいい。それを感謝しながら、アッシュは頷く。
最近、ルークの記憶を思い出のように夢に見るようになり、少し頭痛がするものの、これはきっとあの手紙が届いた所為だと思うことにした。
きっかけはこんなに些細なこと。
「夢に、見ましたのね」
「ああ。あいつ、本当に賭けをしたことを忘れてたのか?」
「……分かりません。私、その賭けのことは一切知りませんの」
緩く頭を振るナタリアに、アッシュはただ、そうか、と頷いた。知らなくても仕方ないことだろうな、と思った。
アッシュに分かるのは、ルークの感情でもない。記憶だけだから、ガイと賭けをしてルークがその勝敗のことをどう思ったのかはわからない。本当に二人だけの記憶で、思い出だったはずだった。
なんて、おこがましいことだ。“ルーク”だけの記憶であるはずのものを、持つなんて。
「アッシュ。それが、どうかなさいましたの?」
「……。いや、なんでも、ない」
微かに頭を振って、瞼を閉じた。
訪れた光の残る闇。その瞼の裏で、夢を思い出した。
ルークはチーグルの仔に今日の出来事を話していた。きっとチーグルの仔が気づいたのだろう。
ご主人様、嬉しそうな顔してますの、何かあったですの?
ルークは多分苦笑をした。そうして賭けの、話をした。全然覚えてないんだけど、と付け加えて。
それでも、だけど、と続く。これはきっと引き分けなんだ、と答えた。
チーグルの仔が、どうしてですの、とふさふさした耳を揺らしながらルークを見上げた。そしてチーグルの仔の目が悲しげに揺れたので、きっとルークは悲痛な顔をしていたのだろう。もしくは無理して笑っていたかの、どちらかで。
そうして、しばらくの沈黙の後、口を開いた。
ガイに嘘ついてるから、かな
押し出された声はたくさんの想いを殺していた。
少なくとも夢を見ているアッシュには、そう思えた。
瞼をゆっくりと上げると、暖かな昼間の光が眩しくて、目を眇める。
遠い街の喧騒は平和な音を奏で、アッシュにはどこか遠い世界のように感じた。それでもこれが現実かと苦笑を唇に乗せると、ナタリアが、どこか具合でも悪いのですか、と心配の色を滲ませた表情でアッシュの顔を覗きこんだ。
アッシュはなんでもない、とナタリアに少し微笑み、椅子から立ち上がった。
あの日から頭痛が酷く、眩暈もする。殺されたはずの感情が叫んでるようだ、とアッシュは思った。
“ルーク”にはもう感情はないのに、勘違いしそうになる。
だけど、それを無視するように窓から見上げた空は、晴れすぎた色をしていた。
(泣きたくもないのに、涙が出そうになる)