リンドウの唄詠い
兄と弟の日常
唄詠い―
本来は大昔から伝わる伝説がもとになったと言われている。
この国土――冥国は何故か数年に一度必ずと言っていい確率でききんが起こる。
そして当時、農村が過去に無いほどに深刻な状況に陥り、絶対絶命となったとき、一人の男が言った。
「唄を、歌わないか」
こんなときに何を言っているんだと憤りを見せるものもいたが、その男が一人で歌いだした瞬間、不思議なことに枯れていた植物が次々に本来の姿に戻ったという伝説が残っている。
そこから派生したのが、唄詠いという一種の職業。
単純に歌い、単純に金を取るだけではない。
いかにその人の心に残せるか。
その証拠付けと言ってはなんだが、唄詠いに金を払うのは歌を聴いた本人の任意となっている。
金は払わない、と言われれば諦めるしかない。
それが唄詠いの基本の掟だ。
そして国の教訓的思考が、
「唄は人を幸せにし、万物に良い影響をもたらす
その唄を歌うものは、神の御子と等しい」…
つまり、唄詠いはかなり希少な存在なのである。
限られた美声を持った者しかなることが出来ず、強いて言えば唄詠いは皇族と同等に地位が高い。
誰もが羨む職業なのだ。
しかし、鼕煌自身はあまりよく思っていない部分がある。
別に唄を歌うことが嫌いなわけでもなく(むしろ大好きだ)、勿論唄詠いになったのも自分の意思だ。
ただ、“唄詠い”という特別な立場の人間として扱って欲しくないだけなのだ。
特に自分のような名の知れた唄詠いとなると、まるで珍しいものでも見ているかのような目線を送られ、見世物のような扱いを受ける。
正直それが嫌で仕方が無い。
確かに声は優れているが、それ以外は普通の人間なのだ。
その扱いかたを注意しても、長いものには巻かれろと言わんばかりに責任者が手厚すぎる歓迎をしてくる。
ふざけるな、そんなことをして私の心が動くか。下心丸見えだぞ。
…そうは思っているのだがなかなか声に出せない。
そんなことを考えて、完全に自分の世界に入っていた鼕煌は現実に頭を戻した。
そして、この状況である。
美人な若い女達が、鼕煌の周りを囲ってなにやら語りかけてくる。
まただ。何故私をもてなす=美女達で囲むという考えばかりなんだ。
たしかにまだまだそういうものに興味がある年頃だが、正直言うとあまり楽しくない。
唱柧は逃げるようにして「用意された部屋の様子見てきますー」などと言っていなくなったし。
ああ、薄情者め。私が人込みが苦手なの知っているだろう。
どうせなら唱柧と二人で静かに食事をしているほうがずっといい。
げんなりとした気分で状況に合わないくらい無駄に上手い酒を飲んでいると、廊下を歩く音が聞こえ、ふすまが開く。
「うわっ、女ばっかりだ。」
ひょっこりと顔を覗かせたのは唱柧だった。
どこか救われた気持ちで鼕煌は隣に来いと手招きする。
どっかりと胡坐をかいて座った唱柧の隣にも女達がつき、話しかけてくる。
しかし彼はどこか冷たい声で
「勝手に喋りかけるな。全員出て行け。兄様と二人で話したいから」
と少し張り上げて言った。
女達は一瞬むっとした顔を見せると、しぶしぶといった様子で部屋を出て行ってしまう。
しばらくして足音が消えた後、唱柧が鼕煌に視線を向けると、彼がやれやれといった顔をしていた。
「助かったけど…言い方ってものがあるだろう?」
「いいんですよ、あんな特に可愛くもない女共」
「お前は好みの女性の範囲が狭いね…結構な美人さんもいたじゃないか」
「えー兄様あんなのが好みなんですかー?」
「っいや、そういうわけじゃ、ないんだが…」
どうにも免疫のない話なのか言葉がおっつかない。
そんな自分の反応を面白そうに見ている唱柧に気付き、慌てて彼の頭を軽く叩く。
「…で、灯柚さんはなんて?」
真面目な話に無理やり切り替えると、唱柧は順応が早いのかすぐに雰囲気を切り替える。
「えっと、なんてっていうか…特になにも言ってなかったよ。ゆっくりしていきなさいって」
お互いの自己紹介が済んだあと、灯柚の家に招かれた。
大きな木造建築で、いかにも長らしいいでたちだ。
今夜泊まるところを探しているのだがいい宿をしらないか、と聞くと、それならここに泊まっていきなさいとありがたいお言葉を頂いての状況だった。
食事まで用意してもらい、こんなときだけ自分が唄詠いという職業をやっていて良かったと思う。
…まあオプションでついてきた女達は要らないお世話だが。
「あ、それと風呂入ったから自由に使えって言ってた」
「そうか。ありがとう唱柧」
「いえいえ」
はにかみながら言う唱柧。
こう大人しくしていれば可愛い弟なのだ。ただ少しやんちゃなだけで。
「ところで唱柧、お前酒は飲めたか?」
「酒?…うん、大丈夫だけど」
「じゃあこれ飲んでみろ。格別に美味いぞ。私もこんな上手い酒はひさしぶりだ」
「いいの?じゃあ…」
鼕煌から差し出された杯を受け取り、一気に口に含む。
「……」
「どうだ?」
問うても、杯を口につけたまま動かない。
「…唱柧?」
怪訝に思い名前を読んだ刹那、
「う゛っ」
「え」
「……っ吐く…」
「!!!!!!!!!」
この後、大惨事になりかけたのは言うまでもない。