穴
B-3
久しぶりに声を上げて泣いた。
どれ位泣いていたのかは分からないけれど、泣き終わった後は少しだけすっきりしていた。
「すみません、いきなり」
あたしは横にずっと佇んでくれていた男に頭を下げた。
男を見上げると、彼は小さく首を振っただけだった。
妹が死んで教団を抜けて、そしてあたしはSMクラブで毎日鞭打たれている。
自分でも何がしたいのか分からない。でも普通に生きていい気がしない。教団に復讐も考えたけど、どうしたらいいのか分からない。全ての宗教家共を憎んでいるのに、あたしを鞭打つ神父のお金で、今日もあたしは生きている。自殺だけはするわけにはいかない。そんな事をしたら、あたしの心の中の妹への思いまで失ってしまう気がするから。だから、あたしは生きている。
「人間に与えられる苦はどうして平等じゃないんでしょうね」
浮浪者は浮浪者とは思えない清らかな声でそう言った。
「私はね、思うんです。人より苦労した、人より辛い目に遭った。そんな事には価値はないと。けれど問題を自分がいかに幸せかだけに絞って、自己のみを見つめ続けると、人はどうしたって歪むと思うのです」
そこで男は言葉を区切ると、少しだけ間をおいた。まるであたしに考える時間を与えるように。あたしは人より辛い目にあった。そう思っている。けれどさっき理由もなく石を投げつけられているこの男を見た時に、あああたしはまだマシなのかもしれないとも思った。あたしの中の幸せな部分を探そうとした。警官が来る、その時まで。あたしは声を出してあのガキを止める事すらせず、自分の置かれている安全を噛みしめていたのかもしれない。人から鞭打たれ蔑まれては安堵し、人を見下してはまた安堵している。
「穴は自我に穿つものではなく、世界に向って穿つものだと私は思うのです。自己のみを見ていては、真っ直ぐに飛ぶ事は出来ないのだから」
そう言うと、浮浪者の男はあたしに向って微笑んだ。
その歯はやっぱり黄色くて、髪はボンドで固定したみたいにガビガビだったけど、あたしは何故か少しだけ救われたような、そんな気持ちになっていた。