さよなら、またね
「それじゃ、ここで」
古い駅舎の改札前で、いつものように彼は言う。
「――もう帰るの?」
「うん、暗くなる前に帰らないとまずいし、電車1時間に1本しかないから」
「そうだったね」
でも、まだ別れたくない。言葉を何度、この場所で飲み込んだだろう。
一緒にいる時間が楽しければ楽しいほど、別れる時が辛い。
だけど彼の家はこの路線の終点で、私の家は歩いて10分の所で、高校生だから親元で暮らすしかなくて。明日になればまた学校で会えると思っても、寂しくてしょうがなくて。
そんな本心を伝えても、彼を困らせるだけ。わかっていたから、これまで口に出したことはなかった、けど。
「……もっと、一緒にいたかった」
ずっと抱えていた想いを、今日はどうしても伝えたかった。
案の定、彼は目を丸くしてとても驚いた様子を見せる。お互いあまり饒舌ではなくて、特に私は、自分からは気持ちも考えもめったに言わなかった。嫌な顔をされるかもしれない、迷惑に思われるかもしれないと、臆病な気持ちばかりが先に立ってしまったから。
今も本当は怖かった。でも言わなければきっと後悔する。だから。
沈黙は、私にとっては長く長く感じた。それを破ったのは花びら混じりの春風と、彼が浮かべた優しい微笑み。
「そうだね。僕も、そう思っていたよ」
今度は私が驚く番だった。返す言葉を見つけられずにぽかんとしている私を、彼は、変わらない笑顔で穏やかに見つめる。
「じゃあ、またね」
言いながら片手を上げて軽く振り、踵を返して駅舎の中へ向かっていく。
彼が改札を通り抜けた直後、視界がゆがんだ。
涙のせいだけじゃない。目にしているもの全てが、輪郭が曖昧になって透けていく。
残ったのは朽ちかけた駅舎と、横に立つ大きな桜の樹。
10年以上前に廃線になったローカル線。駅舎が取り壊されると聞いて、20数年ぶりに訪れたこの場所で、彼に会った。この近くの高校に通っていた頃、付き合っていた当時の、高校2年の彼に。
いつものようにここで別れた翌日、彼は姿を消してしまった。
どこへ行ったかはわからない。家も家具もそのままに全員がいなくなっていて、いろんな噂が学校で飛び交ったけれど、真相はわからなかった。
それだけの事情を、私は何ひとつ気づくことも、気づかされることもなかった。彼からの手紙や電話も、その後一度も来ることはなかった。
……だから、彼を忘れることにしたのだ。彼にとってはそれだけの存在価値だったのだと、それほど想われてはいなかったのだと言い聞かせることで。けれど。
――少なくともあの頃、彼は私と同じ気持ちでいてくれた。
心からそう思えることができた今は、寂しさも悲しみもなく、ただ穏やかな気持ちでいられる。
彼が今どうしているのかは知るすべもないけど、元気でいるなら、いつかどこかで会う時が来るのかもしれない。たとえ幻でも、またね、と言ってくれた彼に。
でも先のことはわからない。それに――ずっと引きずってきた、抱えていた想いからは解放された。だから、私は口に出して言う。いつか伝わることを信じて。
「……ありがとう、さよなら」