父の墓
彼は夢を見ない人間だった。堅実な石橋を叩いて渡るような生き方をしてきた。二十代の前半のとき、彼は小雪という名の女性を愛した。清楚で控え目な女だった。いよいよ結婚かと誰もが認めたとき、突如、俳優を目指している男が現れ彼女を奪った。真相はわからないが、まじめに弁護士の仕事をしている彼よりも、俳優を目指している男の方が格好良く生きているように見えたようだ。
小雪が別れを告げた日、雨だった。小雪は傘も差さずにいた。彼が差し出した傘にも入らなかった。たった一言、「ごめんなさい」と言った後、「さよなら」と言って小走りに彼の前から消えた。
彼は終始無言だった。それが精一杯だった。本当は「どうして?」と言いたかったのに。その一言がなぜか言えなかった。「さよなら」という一言で、彼を支えているもの、プライド、人生観、価値観、それらが全て壊れた。それも女神のような存在の小雪に叩き壊されたのである。それはたとえようもない深い悲しみだった。
彼の母親だけが、「よかったわ。向こうから離れていって。あんな女はろくな女じゃないと思っていた」と言った。
「あの子はいつも、映画とか小説とかくだらない話をしていたから、きっとろくでもない女だとずっと思っていた。やっぱり間違いじゃなかった。あんな女と離れて良かったのよ。あなたには、相応しい女を見つけてあげる」と慰めた。
母親の言葉に何か救いを求めた。同時に小雪を蓮っ葉女のように軽蔑しようとした。しかし、どんなに軽蔑しようとしても、忘れられることがなかった。
よく面白味がないといわれる。それに不満はなかった。逆に面白おかしく生きている人間などろくでもない人間だと思っていたから。たとえば父親のように。そう教え込んだのは母親だった。
母親は数学の教師だった。真面目な人間だった。彼女は「人生の最大の失敗は、彼の父親と結婚したこと」と公言してはばからなかった。
幼い頃に離婚したので、父親の記憶というものがあまりない。ただ、父が出て行った日のことはよく覚えている。夏の日の暑い日だった。風があったのであろう、父が買ってきた風鈴が鳴っていた。白いシャツを着ていた父は自分の荷物を片付けていた。風鈴もかばんに入れた。終始、二人の間には会話はなかった。どこか張り詰めたような空気を幼心にも感じていたのを今も覚えている。最後に父が「さよなら」と一言を言ったとき、母親が強張った顔を背けた。そのシーンを鮮明に覚えていた。
母親は父親について断片的なことは教えてくれたが、細かなことを教えてくれなかった。芸術を志したけれど、ものにならなかったとか。いろんな仕事についたが、どれも長続きしなかったとか。
「だから、あなたはあんな男になってはいけない」と口すっぱく言った。
「つまらない夢を見るのは、ろくな人間ではない証拠よ。まともに生きる人間は現実を見つめる」とも言った。
彼が三十一歳になったとき、母親は、真由美という名の二十七歳の女を引き合わせた。母親と同じようにめがねをかけ、母親と同じように数学の教師であった。まるで母親のコピーのような女だった。彼が望んでいた女とは違っていた。もっと柔らかくて温かいようなものを求めていた。しかし、最終的には、母親が望んだとおりに結婚した。まもなく一人の子供できた。
「お父さんが生きているかもしれない」と母は死ぬ間際に言った。
どんな暮らしをしているのか。なぜ捨てたのかと聞いてほしいと母は涙を浮かべ懇願し手を握りしめた。あまりにも意外だったので、彼は言葉を失った。
「気は確かかい?」
「気は確かよ。お願い」ととても病人とは思えない強い力で彼の手を握りしめた。
その直後、容態が急変し、帰らぬ人となった。
母に聞いた町を訪ねた。そこは父の生まれた故郷という。母は言葉を濁したが、誰かと一緒に暮らしているかもしれないとも言った。彼にとって、父は憎しみも愛情もない遠い存在でしかなかったが、母に力強く握られた感触が忘れられずに訪ねることにした。
海の見える港町だった。かつては栄えたかもしれないが、今は寂れている。父の住んでいたという一軒家を訪ねた。既に空き家になっていた。それに崩れかかっている。近所の人に聞いた話では、何でも数年前の地震で壊れたとか。家の中に入ってみた。何も残されていない。父が住んでいたという痕跡も、一緒に暮らしていたという女の痕跡も、何もなかった。
「男は十年前に死んだ。残された女が丘の上の墓地に墓を作った。その女は地震の後に消えた」と近所の人があった。
時間があったので、丘の上にある墓のところに行った。小さな墓である。母と自分を捨てた男が、この地で一人の女を愛し死んだ。その痕跡を示すのはたった一つの墓だけ。手を合わせた後、あらためて辺りを見回した。眼下に街が広がっている。背後に青い海が広がっている。見上げると、広大な青空がある。
あらためて、小さな墓を見た。そのとき、彼の中に、自分と母を捨てた父を軽蔑する気持ちはすっかり消えていた。むしろ、哀れだとさえ思った。今では、もう誰も墓参りする人がいないのだから。