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愛しい人

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 とある小さな国の小さな島に、それはそれは腕の良い彫刻家が住んでいました。
 遠い国からも作品の依頼が押し寄せ、それは高額で取引されていたので、忙しいながらも暮らしは裕福でした。
 大きな屋敷には、数人の使用人と彫刻家だけが住んでいました。
 お金はあったのです。しかし、残念なことにそばに寄り添って彼を助け、励まし、優しく抱擁してくれる女性には出会えていませんでした。
 言い寄ってくる女性は沢山いたのです。それこそ、蜜に群がる蟻のように、血の匂いに誘われるハイエナのように、彼の周りにはお金に目が眩んだ女が集まりました。金のために微笑み、愛の言葉を囁かれても彫刻家はちっとも嬉しくありません。欲望のまま女を抱いてみると、抱いたのだからあれをよこせ、これを買ってくれと言い出す始末です。

 そんな金にしか執着しない女たちに疲れ切った彫刻家は、自らの理想の女性を思い、三日三晩眠らずに石を掘り続けました。
 そして四日目の朝、心骨全てを降り注いだ作品が出来上がったのです。
 豊かで艶やかな髪、今にもバラ色に染まりそうな頬、ふっくらと柔らかそうな唇。彫刻家は石像の顔を見つめて、小さく息を吐きました。吸いつくように滑らかな肌、女性的でどこまでも優美な身体の曲線、すらりと伸びた手足。今にも動き出しそうな、完璧な石像を撫で、愛情を注ぎこむようにその身体に抱きつきました。

 血の通わぬ自らの理想の石像に惚れ込んだ彫刻家は、毎日、寝ても覚めても彼女の傍から離れようとはせず、十分な食事さえも取らなくなってしまいました。石を掘るためにがっしりしていた体はやせ細り、若々しかった髪は抜け落ち、健康的だった顔は頬がこけ、唇は乾燥して、生気の欠片もみられません。そんなになってでも、彼が欠かさず続けていたのは、神への祈りです。
「どうか彼女に生命をお与えください。どうか、彼女を――」

 悲痛な祈りは、ある女神に届きました。日に日に衰えていく彫刻家を見るに見かねた女神は、彼女に生命を吹き込みました。
 栗色になった髪はなびき、頬はピンクに上気し、形の良い唇はそよ風のような声を紡ぎ出しました。彼はその様子を唖然と眺めながらも、溢れ出る涙は止められません。
「ありがとうございます……本当に……夢のようだ」
 瞬きを忘れ、彼女を凝視しながら、彼は何度も何度も感謝の言葉をつぶやきました。
 すべすべの肌は、みるみる血色が良くなっていきます。さっきまで硬かった身体に弾力と柔らかさが生まれ、温もりを感じられるようになりました。彫刻家は嬉しさのあまり、彼女の頭から首、背中、腹、手、足、身体のありとあらゆるところを撫でまわしました。

 命をかけて愛した、彼の理想が歩きだしたのです。その欲望を止めることは困難でした。
「ああ、僕の愛しい人。どうか私の妻になってください」
 彫刻家は、彼女の前に片膝をつき、深く頭を下げました。待ちに待った日がやってきたのです。あれこれ考える時間も惜しく、事を性急に進めようとしました。
 彼女は、くるくるとよく動く視線を彫刻家の頭上に止め、楽しそうに真っ白な歯を見せて言いました。
「あなたが私を作ってくれたのね。ありがとう」
「いやいや、なんのそれしき。愛しい人、キミの誕生は僕の幸福の極みだよ」
「私に命を与えてくれとひたすら願ってくれたのも、あなたね?」
 琥珀色の瞳は、彫刻家の顔を覗き込み穏やかに輝きました。彼は天を仰ぎ、再び感謝の言葉を口にすると、潤んだ瞳で彼女の顔を見据えました。
「そうだ。キミに生命を与えてくれと、毎日祈ったんだ」
「ありがとう」
 彫刻家の耳に優しく届く彼女の声は、それだけで彼を喜ばせました。彼女が笑うだけで、歩くだけで、髪を揺らすだけで、彼は天にも昇る気持ちになれたのです。

 彼のうっとりとした視線を浴びながら、彼女は切り出しました。
「生命を与えてもらって、本当に感謝しています。考える頭があって、物を見る目があって、音を聞く耳がある。あなたと対等の人として話をさせてください」
「もちろんだとも」
 彫刻家は大きく頷きました。

「私にも選ぶ権利があるということですね? そうでしたら、私はあなたのものになりたくない」
 爽やかな彼女の声は、彼の鼓膜に突き刺さりました。
 言葉の刃(やいば)は、彼の胸の奥底まで届き、全てをずたぼろに切り刻みました。
 彼女はワルツを踊るような軽い足取りで、屋敷を後にしたのでした。

作品名:愛しい人 作家名:珈琲喫茶