篠原 喧嘩12
居間には、やはり、その人の姿があって、何を言っていいのかよくわからなくて、「ただいま。」 と、だけ挨拶して部屋に逃げ込んだ。
・・・・怒る場面じゃないし・・・・謝るのもおかしいし・・・・・
何を言うのがいいのか、本当にわからなくて途方に暮れる。何にも言わないで逃げたので、怒っているかもしれない。それなら謝るほうがいいのかもしれない。ぐるぐると堂々巡りする思考では、居間へ戻る勇気が出ない。
しかし、だ。いきなり、扉が開いて母親に腕を取られて、部屋から引きずり出された。
「雪乃さん、荷物は持ちました? 」
玄関へ引き摺られて、そこで待っていた雪乃に、その腕を渡される。
「何があったか知らないけど、ちゃんと話し合って解決しなさい、義行。・・・・ああ、雪乃さん、そろそろだからっっ。」
そう怒鳴られて、家から雪乃と一緒に追い出された。明日は休日だから、別に制服も仕事道具も必要ではない。無言のままに腕を取られて、そのまま、家に向う。途中で大通りに出て、タクシーを拾った。そこでも、まだ無言だ。ちょっと寒いな、と、車内の温度に震えたら、黙ったまま、ストールをかけられた。
・
・
家に帰っても、まだ無言だ。ソファに座らされて、その前に、雪乃はしゃがみこんで、顔を合わせた。
「迎えに行くのが遅れて、ごめんなさい。・・・・怖くて行けなかったの。」
「え? 」
「もう、私に愛想が尽きて実家で暮らしたいって思われてたら、って、そんなこと考えてたのね、私。・・・・でも、橘さんも板橋のお母様も、あなたの具合が悪くなるって・・・・」
それで、とりあえず迎えに行ったのだ、と、説明した。見た目には、あまりわからないが、両親や橘、細野たちには、僅かな変化も見て取れる。そろそろ、体調が崩れることを危惧していたのだ。確かに、ちょっと顔色は悪い。
「・・あの・・・・」
「うん。」
「・・・・僕にも相談してからやってほしい・・・・・」
「うん。」
「・・・・なんて言えばいいのかわからなくて・・・・・ごめん・・・・僕も怖かった・・みたいなんだ。」
「うん。」
「もう少しだけ傍にいて。」
「もう少しだけでいいの? 」
「・・・僕が目を閉じるまででもいい?」
「ええ、もちろんよ。」
「ありがとう。」
「・・・あの・・・」
「うん? 」
「・・ベッドのことなんだけど・・・・」
「うん。」
「一緒がイヤなら、ベッドをふたつに分けるけど? 」
「もういいよ。・・・でも、ひとりで、あの部屋で寝るのは、なんだか眠れないから、雪乃がいない時は、やっぱり下で寝るよ。」
「ああ、そういうことだったの? 」
「うん。」
「ごめんなさい、ちゃんと聞けばよかった。私と寝るのがイヤなのかと思って。」
「ううん。こっちこそ、ちゃんと言えばよかった。・・・・心配してくれてるのはわかってたけど・・・・先に全部終わってて・・・それで、ちょっとカチンときたんだ。」
ふたりして、顔を見合わせて微笑んだ。本当に、ちょっとした行き違いみたいなものだ。ずっと、一緒にいるからと、ふたりとも言葉が足りなくなっていた。わかってしまったら、笑うしかない些細なことだ。
ふたりして笑って、ほっと息を吐き出して気づいた。
「あ、食事、まだだよね? 」
「ええ、でも、板橋のお母様から預かってきたから温めれば食べられるわよ。」
そろそろの意味は、そろそろ具合が悪くなるということだ。だから、消化によさそうな食事を、二人分、母親は用意して渡してくれた。
「お風呂の用意するから、食事を温めてくれる? 」
「そうね。」
いつものように、ふたりして立ち上がって手を放して、別方向に歩き出す。でも、今夜からは安心して温かい体温を感じて眠るから、何の心配もない。