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世界の果て

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ミヨさんから手紙が届いた。

いつもミヨさんは返信先を書かないので(書きたくても書けないのかも知れない)こちらから返事は書けない。



「元気?こっちは眠気が抜けないような陽気です。


先週までアパートが雨漏りの工事を始めて、一日中うんざりしていましたが、ようやくそれも終わり、あんまり気分がよくて、庭から花を摘んできて、居間のグラスに飾ってしまいました。
名前はよくわかりません、明るい、紫色の花です。

犬の話。
あなたからもらった子犬は今も元気です。元気過ぎて私のサンダルをかみ砕いてソファに載せて私に見せ付けるくらいです。
なので、彼はいま屋外追放の罰を受けています。

でもまぁ、夕方になれば許してやるつもりです。なんといっても、彼は私のそばにいてくれる、数少ない友達だからです。


検査の話。
四回目の検査の結果が出ました。
また陰性でした。

今度はさすがの私もがっくし、です。前の手紙でも書きましたが、今回が本当に『最後の最後』だと、夫と約束していたからです。だから、この手紙も、ふんばりながらなんとか書いています。

不妊治療は、手足を縛られて土に埋められちゃうマジックに似ています。
唯一違うのは、種と仕掛けを、自分の中で育てなくてはならないことです。

私は暗闇のなかで、ハラハラドキドキしながら外の景色を想像します。そして、種が自分の中で温まるのを待ちます。じっと息を潜めて、私は、蝶のように弾けて飛ぶ日を夢見るのです。
でも、結果が出ないと大変です。私は不格好な手段で、ムリヤリ土を掻き分けて外に出なくてはなりません。地上に出れば夫に助けてもらえますが、それまでは本当に一人です。

それはまるで、世界中の夜がぜんぶ私の上に落ちて来たみたいな気分です。その時、私は何も感じられなくなります。
世の中のありとあらゆるものが、私の中で価値が無くなってしまうのです。
私や、友人や、家族や、夫も、街も海も星もぜんぶぜんぶぺしゃんこになるのです。


私はちゃんと泣き止んでから夫に結果を伝えたかったのですが、いくら頑張っても涙が止まらないので、仕方なく泣きながら夫に電話をかけました。
夫は黙って、泣いている私の声を受話器の向こうで聞いていました。

こんな時いつもなら、夫が優しい声で私を励まして、「また、次がんばろうよ」と言ってくれます。いつもその声は私を少しだけ大きくして、私をまたあの孤独な穴へ向かう勇気をくれます。
でも、その日は違いました。
今度は本当に『最後の最後』だったのです。次はもう有り得ないのです。


私は泣きながら、夫に腹が立ってどうしようもありませんでした。『どうしてあなたは、こんな時に私の側にいないの』と私は思いました。どうしても何も、彼がこうやって外で働いてくれるから、生活や治療ができるのです。
でも、私は本当に彼に理不尽なことをされたみたいな気分でした。
私は誰にでもいいから、抱かれたいと思いました。誰でもいいから私を抱きしめて欲しいと心から思いました。


もっと正直にいうなら、あなたのことも考えました。あなたがそばにいてくれたら、私はもうなにもかも捨てて、またあなたに抱かれてしまいたいと思いました。

まるでそれは、世界の果てから振り落とされたみたいな気分でした。

本当の孤独をあなたは知っていますか?
世界の果ての向こうから、自分にすら届かない声を上げて、私は叫び続けました。


でも、私の願いは何一つ叶いません。


私は今も、世界の果ての向こうから、この手紙を書いています。
これからのことは、何も決まっていません。しばらくしてから、夫と話し合う予定です。
あなたがこの手紙を読む頃には、私は端っこでもいいから、この世界に戻れたら、と思います。



雨が降ってきました、子犬を家に入れてあげようと思います。不思議なことに、彼にはまだ名前がありません。どうしてでしょう?

何か考えてあげなきゃと日々思うのですが、なんとなくだらだらと、そのままです。もう慣れてしまって困りませんが、おい、とか、キミとかでは、可哀相だなあと時々思います。

また手紙書きます。
約束、忘れないでください。
元気で。」




僕は、その手紙を読み終わると、いつものようにベランダでそれを燃やした。


それが、僕と彼女の、唯一の約束だからだ。


僕はたよりない炎を見つめて、世界の果てについて考える。


<あなたのいない世界なら、全部、ぺっしゃんこにしてしまえばいいんだ>


本当はそんなことを、願うべきではなかった。

この世界だけでも、僕には、あまりにも、重すぎたはずなのに。
作品名:世界の果て 作家名:追試