そんな日々に
今、僕の右手の親指は昨日の97パーセントほどしかありません。
嘘 嘘 嘘よ そんなの 嘘よ
そんな風に、遠くで鳥が鳴いているのが聞こえます。
嘘 嘘 嘘よ そんなの 嘘よ
彼女はいつも街を歩くときに、バスケットボールをドリブルしながら歩いています。
「どうして、いつも君はドリブルしながら街を歩くのかな」
と、僕が尋ねると、彼女は笑って
「これは、私のデコイなのよ」
と、言いました。
「デコイ?デコイって何?」
と、僕がまた尋ねると、彼女はまた笑って、
「デコイっていうのは、戦艦が敵のレーダーを撹乱して魚雷の命中率を下げるためにばら撒く、イミテーションのことよ。」
と、言いました。
「それがあれば、敵はレーダーで戦艦を識別しにくくなるの。私が戦艦で、ボールがデコイなの。」
僕はしばらく考えてから(何でもかんでもわからないからと尋ねるのはよくないので)、けれどもやはり思い直して、言いました。
「戦艦の戦術にとって、デコイの存在が有意義なのはわかったよ。情報が戦局を変える、補給が戦況を支える。きっとそうだ。僕はサルトルみたいに、俺はいつか拷問を受けるかもしれない、と青春を戦争の存在におびえながら過ごした人間じゃない。そんな人間でも、それくらいのことはわかる。知識として。」
僕は何度か彼女の言葉にうなずきました。そして、
「でも、君は21歳の女の子だし、いまの日本は平和だし、誰も君をレーダーで探知して魚雷をぶっつけてやろうなんて、考えてもいないよ。だから君にはデコイは必要ないって、俺は思うんだ。」
と、彼女に言ってみました。
彼女は何も言わないで、バスケットボールをドリブルし続けていました。
まるで、(そんなこと私に言わないで、私のデコイに言ってよ)とでも言いたげな沈黙でした。
僕はかっとなって、ボールが地面に着地する瞬間を狙ってバスケットボールを全力で蹴り上げました。
バスケットボールは鈍い音を立てて路地裏のどこかへ飛んでいきました。バスケットボールの重さで、僕の足首には嫌な衝撃が残りました。
彼女はしっぽをはさみで切られた動物のように叫んでいました。
まるで、デコイでなく戦艦の本体に魚雷が命中したように。
半日かけて泣き続ける彼女を慰めた後で、彼女は、(あなたの親指をなめてあげようか)、と言ってきました。
「ありがとう。でも、君がそばにいてくれたら、それだけで十分だよ」
と、僕は心からそう思ったので、そう彼女に言いました。
彼女は赤い目で、また笑って、僕の入れたココアを飲んでいました。
嘘 嘘 嘘よ そんなの 嘘よ
そんな風に、遠くで鳥が鳴いているのが聞こえます。
僕は彼女が眠ったら、親指の残りの3パーセントを取り返しに、このふざけた声で鳴く鳥をぶっ殺してやろうと、思いました。
僕はその鳥を、さっきのバスケットボールのように、思いっきり蹴り上げてやるのです。
嘘 嘘 嘘よ そんなの 嘘よ
僕が彼女のデコイになるのです。彼女が一人でまっすぐ、街を歩けるように。
嘘 嘘 嘘よ そんなの 嘘よ
ぶっ殺してやる。
嘘 嘘 嘘よ そんなの 嘘よ
嘘 嘘 嘘よ そんなの 嘘よ