成長とセンチメンタルと未来の居場所
でも、現在の自分を信じるということは、けっこう難しいことだと僕は思う。その言葉をくれた人も、僕を利用するだけ利用して僕を捨てた。本人はそういうつもりじゃなかったかもしれないけど、結果的には全部が嘘だったのではないかと、僕は今でもよく考えるけど、答えは出ない。
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信じるというのは、人生でとても大事なことの一つだ。僕がいま住んでいるホテルのとなりでお土産屋さんをしているおばあちゃんは、キリストを信じている。
だから毎週土曜日になると朝から教会に行く。そこで稼いだお金の十分の一を教会に払う。おばあちゃんはずっと一人で生きているから、キリストがいてくれてよかったと僕は思う。小さいころは神様なんて、と思っていたけれど、寂しくて死んでしまうくらいなら、キリストでもアッラーでもいいから信じて生きていてほしいと思うようになった。
おばあちゃんは、収入の十分の一で希望を買ってるのだ。
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月に行きたいと、思う人は結構いるかもしれない。そういう人をセンチメンタルだと一般的に言うのだろう。けれどもし、月に行きたいと願う少年が、宇宙飛行士になるためにいい大学へ行こう、と考えたとして、そして参考書の数学の問題を一つずつ解き始めたとして、難関の試験をパスするためにいくつもの訓練を受けて、嫌いな奴に笑顔で頭を下げて、彼はいつの瞬間から、センチメンタルではなくなってしまうのだろう?
それはもしかして、打ち上げロケット発射への、無機質なカウントダウンが終わったときだろうか。
彼が分厚い宇宙服を着て降り立つ月と、僕が見上げてきた月は、まるっきり別のものだったのだろうか?僕は最近、あまり夢を見ない。
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僕は海辺で未来のことを考える。未来の自分が居る場所について考える。でも僕には、目の前で打ち付ける波が次にどのくらいの高さになるのかすら、わからない。僕は海の向こうにある大きな大陸までの距離を考える。もし僕が休まずに泳ぎ続けたとしたら、きっと僕は二ヶ月で上海へ泳ぎつくことだろう。週に二日泳ぐのを休むのなら、三ヶ月だ。僕は靴と靴下を脱いで、ズボンを巻くしあげて、海に足を浸す。
僕はまだセンチメンタルだろうか?
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少なくとも、僕が今まで大事にしてきたいくつかのことに対して、僕はそう簡単に飽きたりしないだろうと僕は感じる。そういうささやかなことが、ゆるゆるとしか生きていけないことに対しての、とても大事な約束になるような気がする。それは手放しで信じることはできないけれど、だからって僕がもし宇宙飛行士になったとしても、きっと手放しで宇宙服を信用したりはしないんじゃないかと思う。
「耳を澄ますんだ」と少年は言う。「宇宙服に穴が空いていれば、真空の宇宙に風が吹くからね」
彼は今でもなかなかセンチメンタルじゃないか。
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僕は、僕の生きる宇宙のための頼りない防護服に、穴が開いてしまわないように注意しながら生きていくしかない。ささやかな僕の約束を、僕のスペースシャトルまで、少しずつ、途切れないようにたぐっていくしかない。僕は耳を澄ます。風の音が聞こえるけど、ここは地球の海辺だ。キリストでも仏陀でも、使えるなら何だって使っていくしかない。
最近、ほんとうに夢を見なくなった。夢に出てきそうなことを、ノートに書くようには、なったけれど。
作品名:成長とセンチメンタルと未来の居場所 作家名:追試