篠原 喧嘩11
「すいません。」
「ああ、気にしない、気にしない。とりあえず、カフェテリアまで行こう。」
「教授が、お茶を奢ってくれるんだとさ。」
口々に、ゼミ生たちは、そう言って、元来た道へと踵を返す。ラボ近くのカフェテリアには、他のゼミ生たちも集まっていて、結構、賑やかなことになっていた。
「とりあえず、義坊は、後で貸してやる。」
前川は、少し離れた席を勧めて、アイスココアをふたつ、持ってきた。甘い物が好きだと思われていて、今だに、子供扱いされている感は否めないので、篠原は苦笑するしかない。聞いて貰うには、前川が最適かもしれない。
「義坊、喧嘩はどうなった? 」
「・・・まだ、そのままです・・・・」
「原因は? 」
「あんまりよくわかりません。」
とりあえず、なんとなくカチンときたのは、ふたつだと説明したら、前川は笑い出した。いかにも、可愛い孫だと目を細めている。
「くくくくく・・・・・そうかい、わからないのか。まあ、おまえさんは、怒り馴れていないだろうからね。・・・・そういうのはね、カチンと来た時に怒鳴ればいいのさ。」
「え? 」
「突き詰めて考えようとするから、モヤモヤした気分になるんだ。その場で怒鳴ってしまえば、それで済む。」
「僕は怒ってたんですか? 」
「怒ってたんじゃないかな。勝手にされたことで納得がいかなかったということだと思うよ。」
「でも、雪乃は別に・・・・」
「だから、『説明してからやってくれ』と怒鳴ればよかったんだ。そういうことだ。ちゃんと、そのことは、小林さんに言いなさい。そうでないと、関係がギクシャクする。」
「ああ、そうですね。」
すぐに言い当てられて、怒っていたのか、と、自分の感情がわかったらおかしくなった。あまり怒りの感情なんて感じたことがないから、それすらわからなかったのが、自分でもおかしい。確かに、カチンもムカムカもモヤモヤも、そういう感情の一種だ。
「おまえさんは、もうちょっと感情表現できるようにならないといけないな? ここで練習するといい。あいつらが、無茶な注文をつけてきたら怒鳴りなさい。」
少し離れた場所で屯っているゼミ生を、前川は顎でさして笑っている。話が終わったらしいと思ったゼミ生たちが近寄ってくる。
「義坊に無茶を言ってくれ。」
集まったゼミ生に前川は、無理な注文をつける。困惑しつつゼミ生の一人は、「じゃあ、レポート書いて。」と言う。
「それは、自分でやらないと・・・・」
「ああ、だからな、義坊。そういう時に、『バカっっ、自分でやれ』 と、怒鳴るわけだ。」
「年上の人に、そんなことは・・・言えません。」
「年上でもなんでも、理不尽な要求は突っぱねていいはずだ。おまえさん、橘には、『ダメ』とか言うじゃないか。」
「橘さんは友人だからですよ、前川さん。」
「じゃあ、小林さんにも言えるだろ? 」
「あ、そうか・・・・そうですね。」
橘の言葉はストレートだから、拒否もストレートに返せる。直球だから直球という構図だから、意識しなくても拒否したいことはできる。りんやジョンだって同じことだ。変化球で投げられた言葉には、変化球の拒否だ。なぜだか、雪乃にだけはできないでいる。拒否して離れられることが怖いのかもしれない。
「まあ、おいおいにおやり。私は、用事があるから、これで帰るが、義坊を、あまり遅くまで連れまわさないでくれよ。」
納得はしたらしい篠原に、前川は苦笑しつつ、立ち上がる。よくもまあ、こんなに純粋に育ったもんだと、感心はしていた。