Dimension-ZERO
老眼を使わず、裸眼で見えているのだとしたら、それだけでこの老人は表彰に値する存在だ。
髭はきちんと剃られていて、まるで西洋絵画から抜け出て来たようでもある。
高齢者の威厳すら微かに感じるその老人に、
何か文句めいたことを言ってやろうと思っていた強気な気持ちが、徐々に引き気味になるのを自分でも感じながら口を開く。
「あの、」
「なにかな、」
「…ここはどこですか?」
そう言うと、灰色の瞳で涼を映した老人は少し考える風に、何度か頷くような仕草を見せる。
「迷子かね」
「はあ、まあそれに近いのかもしれないんですけど」
この自分の置かれた不思議な状況を、
どういう風に説明しようかと、思ったところで、
あのイケメンが言っていた聞きなれない言葉を思い出した。
「時渡りって言われました」
「誰がそう言ったのかは、わかるかね?」
「さっき、ここにたくさん本を持ってきたイケメっ、…男の人です」
涼の言葉をまた考えるように、何度か頷いてから、
「そうか、彼の言ったことだから、間違いは、まずないだろう」
私には意味のわからない言葉だけど、
時渡り、というのは、この世界の人には通じる言葉らしい。
もうひとつわかったことは、私の第一発見者であるあの男性は、
この老人にとっては、発言内容に、割と信用を置いている人物だったようで、
そこはラッキーだったのかもしれないと思った。
(いや、なんかこの状態自体はかなりのアンラッキーだけどね)
「それで時渡りってなんですか?」
率直に聞いてきた涼に、あまり驚くこともなく、老人は話してくれた。
「つまり一言で言うなら天変地異の意味だ。たまに、この世界とは時間も空間も常識も違うところから人が湧き出てくることがある、科学の力でも、魔法の力でもない、私達の管理も考えも及ばない突然の出来事、ワケがわからない事象、それを総称して時渡りと、そう呼ぶ。君はここではないところから来た。その瞬間を彼は見た。彼は実に幸運だ。」
「どうしてですか?」
「時渡りとまでは行かないが、何か珍しいものを見ただけでも人は経験を積み、成長する。時渡りは滅多にない事象だから、見たことなどあるのはもしかしたら彼だけかもしれない、きっと、そういう貴重な経験は、誰も想像しえない新たなものを生み出せる。ここはそういうところだから」
「はあ、」
経験から成長というのは涼にも理解できる。
しかしそこから生み出す、というのは範囲外だ。ここの住民は全員科学者か何かなのだろうか。
老人の言葉に、涼が曖昧に返事を返してしまうのは、仕方のないことだった。
それを老人も察したようで、涼の困ったような顔を見ると、にこりと初めて笑いかけてくれた。
安心させるような優しげな表情は、まさに涼の理想のおじいちゃん像で、
きっと昔はこの人も相当なイケメンだったに違いないと、
場の居心地のよさに、知らない土地で張り詰めていた緊張が取れていく気がした。
しかし、まだ、時渡りについて知っただけで、根本的な解決にはなっていない。
これからの行く末を不安に思ったのが表情に出た涼に、
老人は新聞を折りたたんでカウンターの中の棚に仕舞い込みながら、なんでもないことのように話す。
「まあ、もう少しゆっくりしてなさい。あと十秒で迎えが来る。」
「え?」
そんな、どこかに幽閉されたお姫様みたいな展開が急にくるとは思えないが、
老人が嘘をついているようにも見えないので、店のドアをじっと見つめてみる。
(迎え、本当に王子様だったりして、そしたら大笑いしよう)
すぐに、カウベルが、今日ここで聞いた中で、一番けたたましい音を立てる。
「ジーンのおっちゃん、生きてっかぁ!」
「来たよ」
勢いよく入ってきた、明らかに学生服の王子様は、なんとも元気な同じ年くらいの男の子だった。
しかもまたしてもイケメン。ここの世界の男の人ってイケメンしか居なかったりして、
ジーン、と呼ばれた老人は、涼に紹介するように彼を見た後、また、にこりと微笑む。
男子学生も涼同様に場の流れについていけずに、ふたり分の眼が、視線を交差させては、老人とお互いとを行き来させる。
確認するように出た言葉は、動揺していたとはいえ、自分でもまぬけだったと思う。
「貴方が王子様なの?」
「はあ?お前誰だ。」
作品名:Dimension-ZERO 作家名:りぃ