篠原 喧嘩7
「おや、疲れた顔だ。」
出向いた研究室で、教授の前川に指摘されるについて、どうも、自分は疲れているらしいと、篠原も思う。なんだか、ムカムカして思考が上手く纏まらないのだ。だから、直接的な対応になっているのだと思う。いつもなら、もう少し上手く相手に意見を伝えることができる。
「忙しいのかい? 義坊。」
「・・・いえ・・・・」
15の頃からの知り合いの前川は、二十歳を越えようと子供扱いだ。今だに、頭を撫でるのが、そのいい証拠だろう。
「おまえさんは、そう言って無茶するのさ。今日は、お帰り。」
「いえ、本当に大丈夫です。ちゃんと、定時で仕事は終わってます。・・・・・ちょっと・・・その・・・・私的なことで・・・」
「え? また、橘が何かやったのか? 」
どうして、私的で気になることがあるといっているのに、橘のことになるんだろうと、溜息を吐き出す。確かに、自分の直属の上司で友人な男は、凶状持ちとして有名だ。だが、そんなことは、いつものことだし、そんなことなら、いくらでも対応できる。
「違います。・・・・教授、そろそろ、ラボへ行かないと時間が・・・・」
そろそろ、授業の時間だ。ラボでは、アカデミー生が待っているので、そう促したが、自称「義坊のおじいちゃん」は、そんなものは無視だ。
「じゃあ、何があった? 言うまで、ここを離れられない。」
「いや、そんなに大袈裟じゃなくて・・・・雪乃と喧嘩しただけなんです。」
「はあ? 小林さんとかね? 一体、何事だ? 」
さあさあ、おじいちゃんに話しなさい、と、言いだして、篠原のほうは、ほとほと困ってしまった。当人にも、このムカムカの最大の理由が、なんだか、よくわからないからだ。
「ねぇ、前川さん。その話は、後でしますから。」
「授業なんぞより、義坊のほうが大事だ。」
「そんなことはありません。みんな、前川さんの授業を待ってるんですよ。ちゃんと、時間通りにやってくださいっっ。」
強めに言ったところへ、ゼミ生が数名で教授を呼びにやってきた。やれやれと、自分も一緒にラボへ出向いた。とりあえず、捕まらないように、さっさと帰ろうと内心で思ったのは言うまでもない。
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結局、俺かい? と、耳元で五月蝿い受話器から耳を離して橘は溜息をつく。ラボでの授業とゼミが終わる頃に、逃げるように篠原は帰ったらしい。それ自体で叱られることは何もない。ちゃんとと聴講はしているのだ。ただ、いつもなら、前川と雑談したり食事したりする篠原が逃げたのが気に食わないのだが、それが、直接、篠原に怒りを向けないのが、前川だ。
「おまえさん、義坊に、余計な処世術を仕込んでいるんじゃないだろうね? 」
「ちょっ、ちょっと、待ってください、前川さん。」
「だいたい、あの子が私を避けるなんて有り得ないだろうがっっ。小林さんと喧嘩したとか言ってたけど、本当なのか? 」
「それは事実です。」
「原因は? 」
「そこまではわかりません。」
「一番傍にいるおまえさんが聞かないで、どうするんだ? こういうことは、愚痴を聞いてもらえば、気分も落ち着くものなんだぞ。」
そして、叱られるのは橘だ。篠原の保護者たちは、全員が橘よりも年上で、さらに言うなら、どっかの機関の代表者とかトップとかばかりだったりする。
「じゃあ、年長の前川さんが聞いてやってださい。俺なんかより適役です。」
いちいち叱られて萎れているような性格ではない橘は、もちろん反論する。畏まっていたら、全てが橘の所為になるし、大人しく従っていられるような性格でもない。
「逃げたんだよ、義坊は。」
「明日、そっちへ行かせますから。」
「・・・・そうしてくれ。」
前川の意図はわかっている。一日でも多く、篠原をアカデミーへ確保したいからだ。だが、表立って、そう言えば、篠原は従わないどころか、サボる。ついでに、人生の先輩として、いろいろと諭しておきたいことがあるらしい。
「素直に、『一週間貸してくれ』 と、言えばいいのに。」
「一週間貸してくれ。」
「はいはい、どうぞ。」
安売りのバナナみたいに、投げられた篠原が、明日、どんな顔をするのか、わからないが、原因を作っているのは、篠原だから、自業自得だ、と、橘は思っている。