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ワールドイズマインのころ

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ばら科




「ねえ、風のふいていないときにおちる花びらというのは誰の感嘆も受けないのだね」
「……はなびえするよ、」

降りはじめの雪が好きだと言ったから、散りはじめの桜もきっと好きだろうなと思った。
俺はたいへん浅はかな男である。
しかしてたいへんやらしいのである。

君は二時間目を一抜けて、東門の桜の木の下で俺と出会った。
思いがけず腹を出して寝ていたからか鼻風邪気味の俺はゆったりと優雅な重役登校をしてきたところで、今は盛りの桜の木を素通りして図書館にでも行こうと思っていたであろう君を呼び止めた。
君はかんまんに桜の木を見上げて、あまりご機嫌うるわしくない顔をした。

「さくらってばら科なんだよ」
「え、うそ。そうなの?」
「そう。あとうめとかなしとかりんごとかいちごとか、全部」
「ばら科?」
「ばら科」
「へえー。でもとげないね」
「……そうだね、」

俺の想像のなかで低俗なイメージをかけらたりとも持たない君は、想像どおりにうつくしいことばかりをよく知っていた。
そしてその知識のほぼ全部、クラスメイトとの談笑には役不足であることも、君自身よく知っていた。
俺はクラスメイトではなかった。
君の笑顔をよく知らなかった。
ちょっとつついたら泣くんじゃないかと思わせるような、ある意味で無防備な顔ばかりをよく知っていた。
それがまさに君の生まれついてのかんばせなのだということを、俺だけが知っている。
くちびるの様子が綺麗だなと思う。

「若松ってさ、さくら好きじゃないの?」
「……え、なんで」
「いや、なんか」
「なんだよ。別に好きじゃなくないよ、散ってるのが苦手なだけで」
「好きなのに苦手ってあんの?」
「うん、あるみたい。俺ね、好きなもんってだいたい苦手なの。なんか、」

なんか言いかけた君をとがめるように、強く風がふいて桜の枝をゆすった。
君はぎゅ、と目をつぶった。
見たくないものに対するごく自然な反応だった。
俺はすかさず君にキスをした。
あまりにも自然にしたものだから、驚いてよもや目をあけたままだった。

風がやんでややあり、俺のくちびるがはなれて更にしばらく後、君はむすんだ紐をほどくように、ものすごく難しそうにまぶたをあげた。

「……なんか、近づきがたくて苦しいから」
「え、」
「さっきの続き」
「……うん? あ、ちょっと待って」

俺はくしゃみをひとつして、とっちらかった頭のなかを片付けた。
ほらやっぱりはなびえしたんじゃないの、と冷静によこしてくる声を遠く聞く。

「……あの。俺いま、ふられた?」
「なんでそうなるんだ」
「だって好きなもんには近づきがたいって、」
「……桃原。あのさ、勝手にふられんなよ。好きだとも言ってないくせに。ていうか、」

ていうか、強風。
君は一瞬苦しそうにしたけれど、今度は目はつぶらなかった。
つやっとしたまなこがふたつ、しっかりと俺を見ている。
つついたらこぼれそうだな、触れなば落ちん風情というやつだな、と冷静に考えた。
つもりでいたけれど、冷静に考えたら落ちたのは俺と花びらである。
君はふいに手をのばして、俺の前髪をすくった。
指先に花びらがのった。

「ていうか、そもそも好きなんだよ。確かに苦しいし苦手だけど、好きだから」
「…………」
「なんか言え」

花びらを眼鏡に押しつけてくる指先をとって、今の「好きだから」の行方を考える。
それは桜に対して、それとも、

指先につまんでいた花びらをおとして手を握り返してきた君の、くちびるの様子が綺麗だなと思う。

「ええと。もっかいする?」
「しない」
「なんで」
「あほみたいだから」
「じゃああほになろう」
「なんで」
「ちょっと泣きそうだから」
「キスしたら泣くくせに」
「ねえ、」
「何」
「はなびえって、何?」
「……このあほめが」

大丈夫だよ心配すんなあほは風邪ひかないから、とはきはき言って、君は東門をすたすた通り過ぎた。

鼻風邪気味の俺はくしゃみのひとつもしてみせようとしたけれど、君はなんて風のふいていないときにおちる花びらみたいなんだ。
それを君に絶妙のタイミングでもって伝えなければいけないと思った。
俺はたいへん浅はかな男である。
しかしてたいへんやらしいのである。

「ねえ待って待って、ももは何科?」
「もも? ……あ、」

僕らは一番目の季節を二抜けて、大いなる学校世界からはみ出してゆく。
僕らはいつも、制服を脱ぐことばかり考えている。