りんみや あんにゅい3
保護者が入院した、と連絡を受けた。慌てて、仕事なんか即刻、休んで駆けつけた。よく、風邪をひく保護者だが、大抵、一日か二日で完治する。それに、ようやく弟の治療が終わって、皆が人心地ついたところだったから、余計に慌てた。
バタバタと病院に駆け込み、エレベーターに乗る。ゆっくりと扉が閉まるのももどかしい。早く早く、とイライラして扉が開くと同時に部屋に飛び込む。
「パパッッ」
そう叫んだら、びっくりした顔の母親と、付き添われてベッドにいる病人が顔を上げた。
「まあ、まりちゃん。あなた、仕事は? 」
「ははーん、佐伯さんだな? 芙由子さん、親父さんが大袈裟に連絡したんじゃないですか? 」
あまりに慌てた様子の娘に、ふたりは、くくくくっと笑っている。髪は乱れているし、服装だって、いつもはおしゃれなはずの娘が会社の制服のままなどという乱暴な格好で息をあげていれば、大方の予想はつくというものだ。
「そんなに慌てなくてもよかったのよ。」
母親が、娘を、自分の座っていた椅子に誘導して、冷蔵庫から水を取り出して渡す。ごくごくと、娘は一気に飲み干すと、「だって、パパが入院なんて。」 と、ようやく心配顔で、保護者のほうへ身を乗り出した。心配されているほうは、点滴は受けているものの、どこか暢気な様子で、その娘に受けている。
「別に、たいしたことじゃないんだ。熱が高くてまずいから、浦さんに無理矢理に連行されただけだよ。・・・・わるかったな、真理子。仕事は大丈夫かい? 」
「仕事なんてどうでもいいわ。ほんとに大丈夫なの? 」
「ああ、至極、元気だぞ。芙由子さんにも帰ってくれるように頼んでるところさ。」
「まあ、パパさん。追い出さないでくださいね。たまには、パパさんのお世話をしたいんですから。」
「でも、自分のことは自分でできますから。それこそ、たまには、佐伯さんの世話を存分にしてあげたらいいじゃないですか。」
ふたりして穏かに会話している。だが、実際、自分の母親は内心で心配しているのが手に取るようにわかる。風邪をこじらせて肺炎で高熱を出して身動きできなくなった、と母親の記憶に、きっちりと記されている。
「パパっっ、絶対安静な人は、付き添いが必要なのよ。」
「・・・こらっっ、勝手に他人の記憶を見るな。それは家族でも駄目だと言ったはずだぞ。」
「でもっっ。」
「真理子、最低限のルールだ。謝れ、芙由子さんに。」
ふーっと、息を吐き出して保護者が目を閉じる。その姿に、真理子も、「ごめんなさい。」 と母親に頭を下げた。いいのよ、と母親は苦笑している。現状を早く知りたいと思うなら、そうするのも無理はないと告げてくれる。
「林太郎さんは、こんな調子なんだけどね。本当は、ベッドから降りるのも禁止なの。まだ熱は完全に下がらないし、肺炎も点滴で治療している最中なのよ。いろいろと検査したら、いろいろと出てきたんでしたよね? 林太郎さん。」
クスクスと芙由子は笑う。この五年というもの、かなり神経を張り詰めていて、誰もが林太郎の不調などというものを把握していなかった。あれほど健康管理に煩い、浦上でさえ、これほどとは思っていなかったのだ。
「おかあさん、パパはそんなに悪いの? 」
「ええ、だって、昨日まで意識が戻らなくて昏睡してたんですもの。今朝、ようやく目が覚めたところよ。ねぇ? 林太郎さん。」
「苛めないでくださいよ、芙由子さん。別に、もういいでしょう? 当人が楽になったって言うんだから。みんな、大袈裟なんですよ。」
目を閉じたまま、そう呟くようにリンが言う。芙由子が、そっと人指し指で、自分の口元を抑えた。娘に話すな、と目線で合図する。真理子も頷いて沈黙する。しばらくすると、リンの身体の力が抜けていのがわかった。離れた応接セットまで娘を誘導して、そこで口を開く。
「ごめんなさいね、まりちゃん。慌てさせて・・・・でも、顔を出して欲しかったのよ。」
「ううん、ごめんなさい。連絡もしてなかったから・・・」
昨年、就職してサラリーマン一年生となった真理子は、その生活に忙しくて、しばらく家に連絡もしていなかった。それ以前に、少し事件があって、それについて保護者から言及されるのも怖かったから、余計に足が実家から遠のいていた。
「林太郎さん、少し寂しそうにしていたのよ。あなたが、就職して戻って来なくなったし、外出しても会えなくなったでしょ? だからね。こんな時ぐらいは、と思って。」
それまでは月に一度、林太郎が仕事で外出する折に、待ち合わせて食事をしていたのだ。それも時間の折り合いがつかないと、断っていた。林太郎は保護者の中でも公平に、弟と自分を扱ってくれた。他の保護者は、どうしても病気の弟に気が向いていて、そちらを優先させていたからだ。貧乏な保護者で、ごめん、と言いながら、いつも、真理子が好きそうな店に連れて行き、それから適当に散歩して近況を尋ねてくれていた。一番忙しいはずの林太郎が、それをしてくれるのが嬉しかったのだ。
「おかあさん、私も付き添いをするわ。これから明日の夜までなら、別に予定もないの。それに、仕事が終わったら、毎日、こちらに来るから。」
「そこまでしてくれなくていいわ。でも、今日ぐらいは付き合ってあげてね。小椋先生がおっしゃるには、気が抜けて、ようやく自分の身体のことに気付いたんだろうって。だから、あなたの元気な姿を見せてあげて。それだけでも気が紛れると思うのよ。」
少し長めに休養していただきましょう、と小椋は診断した。以前、倒れた時と同じような状態になっているらしい。今度は目が見えているから、あれよりはマシではあるらしいが、身体は深刻な状態であることに変わりはない。
「おかあさん、ママは? 」
「先週から、お仕事で海外に、出向いていらっしゃるの。たまたま、浦上さんが残っていらっしゃったから助かったわ。」
弟は祖父の許だ。治療が終わって、ご機嫌で遊びに行ったと聞いている。そんな時だから倒れたとも言える。そういう人なのだ、自分の保護者は。絶対に弱ったところを見せない。
「やっぱり付き添う。おかあさん、少し休んで。私が、これから付き添うから家に戻ってて。」
「ええ、じゃあ、そうしてもらおうかしら。夜は別に構わないから帰りなさい。明日、午後から、お父さんが来るから、それまでお願いね。」
母親はそう言うと、洗濯物を整理し始めた。娘のほうは付き添いの時間つぶしになるような雑誌やお菓子を買いに、一度、外出した。
自分には四人の保護者がいる。両親が二組。だから、おとうさん、おかあさん、パパ、ママと呼び分ける。基本的に自分は、おとうさんとおかあさん、つまり佐伯の娘ではあるが、パパ、ママの水野の娘でもある。戸籍上は佐伯になってはいるものの、戸籍上、水野になっている弟と同じ扱いをされているからだ。就職に際して、新しいマンションを用意してくれたのは水野のママのほうだ。学校に通うのも学費や生活費も、水野のママが面倒を看てくれた。
バタバタと病院に駆け込み、エレベーターに乗る。ゆっくりと扉が閉まるのももどかしい。早く早く、とイライラして扉が開くと同時に部屋に飛び込む。
「パパッッ」
そう叫んだら、びっくりした顔の母親と、付き添われてベッドにいる病人が顔を上げた。
「まあ、まりちゃん。あなた、仕事は? 」
「ははーん、佐伯さんだな? 芙由子さん、親父さんが大袈裟に連絡したんじゃないですか? 」
あまりに慌てた様子の娘に、ふたりは、くくくくっと笑っている。髪は乱れているし、服装だって、いつもはおしゃれなはずの娘が会社の制服のままなどという乱暴な格好で息をあげていれば、大方の予想はつくというものだ。
「そんなに慌てなくてもよかったのよ。」
母親が、娘を、自分の座っていた椅子に誘導して、冷蔵庫から水を取り出して渡す。ごくごくと、娘は一気に飲み干すと、「だって、パパが入院なんて。」 と、ようやく心配顔で、保護者のほうへ身を乗り出した。心配されているほうは、点滴は受けているものの、どこか暢気な様子で、その娘に受けている。
「別に、たいしたことじゃないんだ。熱が高くてまずいから、浦さんに無理矢理に連行されただけだよ。・・・・わるかったな、真理子。仕事は大丈夫かい? 」
「仕事なんてどうでもいいわ。ほんとに大丈夫なの? 」
「ああ、至極、元気だぞ。芙由子さんにも帰ってくれるように頼んでるところさ。」
「まあ、パパさん。追い出さないでくださいね。たまには、パパさんのお世話をしたいんですから。」
「でも、自分のことは自分でできますから。それこそ、たまには、佐伯さんの世話を存分にしてあげたらいいじゃないですか。」
ふたりして穏かに会話している。だが、実際、自分の母親は内心で心配しているのが手に取るようにわかる。風邪をこじらせて肺炎で高熱を出して身動きできなくなった、と母親の記憶に、きっちりと記されている。
「パパっっ、絶対安静な人は、付き添いが必要なのよ。」
「・・・こらっっ、勝手に他人の記憶を見るな。それは家族でも駄目だと言ったはずだぞ。」
「でもっっ。」
「真理子、最低限のルールだ。謝れ、芙由子さんに。」
ふーっと、息を吐き出して保護者が目を閉じる。その姿に、真理子も、「ごめんなさい。」 と母親に頭を下げた。いいのよ、と母親は苦笑している。現状を早く知りたいと思うなら、そうするのも無理はないと告げてくれる。
「林太郎さんは、こんな調子なんだけどね。本当は、ベッドから降りるのも禁止なの。まだ熱は完全に下がらないし、肺炎も点滴で治療している最中なのよ。いろいろと検査したら、いろいろと出てきたんでしたよね? 林太郎さん。」
クスクスと芙由子は笑う。この五年というもの、かなり神経を張り詰めていて、誰もが林太郎の不調などというものを把握していなかった。あれほど健康管理に煩い、浦上でさえ、これほどとは思っていなかったのだ。
「おかあさん、パパはそんなに悪いの? 」
「ええ、だって、昨日まで意識が戻らなくて昏睡してたんですもの。今朝、ようやく目が覚めたところよ。ねぇ? 林太郎さん。」
「苛めないでくださいよ、芙由子さん。別に、もういいでしょう? 当人が楽になったって言うんだから。みんな、大袈裟なんですよ。」
目を閉じたまま、そう呟くようにリンが言う。芙由子が、そっと人指し指で、自分の口元を抑えた。娘に話すな、と目線で合図する。真理子も頷いて沈黙する。しばらくすると、リンの身体の力が抜けていのがわかった。離れた応接セットまで娘を誘導して、そこで口を開く。
「ごめんなさいね、まりちゃん。慌てさせて・・・・でも、顔を出して欲しかったのよ。」
「ううん、ごめんなさい。連絡もしてなかったから・・・」
昨年、就職してサラリーマン一年生となった真理子は、その生活に忙しくて、しばらく家に連絡もしていなかった。それ以前に、少し事件があって、それについて保護者から言及されるのも怖かったから、余計に足が実家から遠のいていた。
「林太郎さん、少し寂しそうにしていたのよ。あなたが、就職して戻って来なくなったし、外出しても会えなくなったでしょ? だからね。こんな時ぐらいは、と思って。」
それまでは月に一度、林太郎が仕事で外出する折に、待ち合わせて食事をしていたのだ。それも時間の折り合いがつかないと、断っていた。林太郎は保護者の中でも公平に、弟と自分を扱ってくれた。他の保護者は、どうしても病気の弟に気が向いていて、そちらを優先させていたからだ。貧乏な保護者で、ごめん、と言いながら、いつも、真理子が好きそうな店に連れて行き、それから適当に散歩して近況を尋ねてくれていた。一番忙しいはずの林太郎が、それをしてくれるのが嬉しかったのだ。
「おかあさん、私も付き添いをするわ。これから明日の夜までなら、別に予定もないの。それに、仕事が終わったら、毎日、こちらに来るから。」
「そこまでしてくれなくていいわ。でも、今日ぐらいは付き合ってあげてね。小椋先生がおっしゃるには、気が抜けて、ようやく自分の身体のことに気付いたんだろうって。だから、あなたの元気な姿を見せてあげて。それだけでも気が紛れると思うのよ。」
少し長めに休養していただきましょう、と小椋は診断した。以前、倒れた時と同じような状態になっているらしい。今度は目が見えているから、あれよりはマシではあるらしいが、身体は深刻な状態であることに変わりはない。
「おかあさん、ママは? 」
「先週から、お仕事で海外に、出向いていらっしゃるの。たまたま、浦上さんが残っていらっしゃったから助かったわ。」
弟は祖父の許だ。治療が終わって、ご機嫌で遊びに行ったと聞いている。そんな時だから倒れたとも言える。そういう人なのだ、自分の保護者は。絶対に弱ったところを見せない。
「やっぱり付き添う。おかあさん、少し休んで。私が、これから付き添うから家に戻ってて。」
「ええ、じゃあ、そうしてもらおうかしら。夜は別に構わないから帰りなさい。明日、午後から、お父さんが来るから、それまでお願いね。」
母親はそう言うと、洗濯物を整理し始めた。娘のほうは付き添いの時間つぶしになるような雑誌やお菓子を買いに、一度、外出した。
自分には四人の保護者がいる。両親が二組。だから、おとうさん、おかあさん、パパ、ママと呼び分ける。基本的に自分は、おとうさんとおかあさん、つまり佐伯の娘ではあるが、パパ、ママの水野の娘でもある。戸籍上は佐伯になってはいるものの、戸籍上、水野になっている弟と同じ扱いをされているからだ。就職に際して、新しいマンションを用意してくれたのは水野のママのほうだ。学校に通うのも学費や生活費も、水野のママが面倒を看てくれた。
作品名:りんみや あんにゅい3 作家名:篠義