偽善者賛歌20「夜叉」
アパートを実家にしたとはいえ、哀憐は別に本籍住所は別にあるわけであり、それはすなわちアパートの住民との面識がないことに矛盾を与えない論理である。ゆえに明石とはアパートでは面識がないのはまあ普通ではあるのだが、不思議なことに、それでも彼とは一度話しており、お互いに顔見知りなのである。彼が嫌いだから彼を鬼奴のごとく扱い、彼はまた哀憐を鬼奴のごとく認識しているのだろうか…結論からいえば違う。彼はただ反駁する機会をうかがっているだけであり、心に彼女を嫌いというよりは、彼女に対して一種の対抗心を燃やしていると考えていいだろう。
「あ」
あの男だ。哀憐は隠れてみていた。
「どうしたんだこんなところ」
「いやあ、ちょっと用事で。…古巣さんこそどうしてまたこんなところを散歩しているんですか」
「暇つぶしだよ」
お義父さんと喋っているんだな、と判る。だけど、ここでは私はでていきたくない。彼の用意している反駁に勝てる見込みがまるきりない。
「そういえば、おまえんとこの近くで殺人なかったか」
「隣人、っていうんですかねえ、確か、はい、多分隣人ですけど、殺害されていたようです」
「バラバラに」
「第一発見者なんで」
「疑われなかったのか」
「背後に別の人がいるのを気づいたみたいです」
「やーさんか」
「やーさんでしょうか?もっと凶悪な連中か下部組織じゃないですか」
「…気持ち悪いとお前のことだから思わないんだろうな」
「まあ、そういうこと考えててもしょうがないでしょう」
「ははは」
談笑の内容はそんなところか。
「聞いていたんでしょ?」
「へ」
古巣がいつの間にかいなくて、そして明石が目の前にいる。
「別におどおどしなくていいって。こっちは別に今ここで論争する気はないし。雨が降りそうだっての」
「じゃあなんで」
「俺のお隣さん、…だった野郎か、偽悪者だと俺が思っていた奴なんだが」
「偽悪者?」
「お前から見れば偽善者なんだろうが」
「だれ?」
「倉敷」
「それって」
「お前の元カレ?」
「…」
「俺の部屋の前で、バラバラになって死んでたよ。ドラッグアディクトの女が摘発された翌日にな」
「…」
「どうやら善人って柄でもないのに善人になろうとしたようだ。結果偽悪者になっちまったわけだ」
「どういういみで」
「麻薬中毒者をかくまうのは触法行為にならないんですかね?まして自分がその女に麻薬を与えてたら」
「…どうでしょうね、それが偽悪というのはいただけないかな」
「…まあ、いいか」
彼はそれだけいってから、思い返したように言った。
「…これ、俺の住所と電話番号、プラスメルアド」
「なんで」
「気が向いたらいつでもディベートふっかけに来いよ。…暇だし。暇で死にそう」
「何かすればいいじゃん」
「何かする度に偽善と言われて、倉敷みたいに偽悪者になる末路だけは避けたい」
「嫌味?」
「いや、寧ろ尊敬だ。違う見方を示してくれたんだからな。それに喜びを覚えるか否かは別にして」
「…」
「怒っちゃいないさ、そこまでひどい性格ではない。俺は人間だ。鬼ではない」
作品名:偽善者賛歌20「夜叉」 作家名:フレンドボーイ42