偽善者賛歌17「羨望」
「なぜあの人はあれほどまでに偽善に染まらずに生きていられるのだろうか」それはつまり「偽善というもの自体にふれないで生きる」ことへの一種の答え。ジンテーゼ。テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)にたいする、(合)の体言者。
そんな哲学的に圧倒的な優性の人間が、しがないアパートの管理人に甘んじる社会。…否、甘んじざるを得ない社会。
「あんたが考えていることは判る」
彼が出し抜けにいった。
「会社は続けないとだめだ」
「しかしこれは」
「そういう制度だ。ソクラテスの爺もいったろう?制度があるのなら従うべきだ。イヤなら変える努力をするこった、とな。だがしかしけれどもそれは不可能だ。こと日本においてはな」
「なぜですか」
「人種的に保守かつ無気力・無関心、扇動されやすく大衆に呑まれやすく、そして一つの情報に思考なく飛びついて脳を他人に預けたがる。新興宗教が発達しやすい素地ができあがっていて、いつでも隙をねらっている。俺のアパートにも一人いたな…異世界の黒仮面と名乗る奴が。一応アパートで宗教を広めるなとはくぎを差しているが、よそで何をやっているかまでは関知してねえよ。そんなの止めたって利益もないし、利益があってやったらそれはそれが新しく扇動しようとしているってことだろ。Sにだまされた人間を取り込む団体としてのKが存在するように」
「古くはOとかPWとかMHBKとか」
「結局変わらないよ、何一つだ。日本人はそれほどまでに呑まれたがっている。呑まれればみんなハッピーだ。資本主義の国がやっていることが社会主義だ。中国に見せてやりたいね。これが本当の不利益平等社会だ、とな。なにしろ貴賤を問わず・老若を問わず・男女を問わず・障害の有無を問わず・才能の有無を問わず・地位の優劣を問わず・品行方正の優劣を問わず・皆平等に不幸せだ。そんな国において、憲法で保証されているのは、笑っちゃうよな」
「幸福追求権ですね」
「そうだ」
「でも保証されているなら」
「まあ、ある意味においては正しいよ。でもよ、おまえが人柱になる必要はないだろうが。それとも誉められたいのか?それは偽善だな。偽善の善悪はおいても、おまえは偽善が嫌いなんだろ」
「はい」
「ならわざわざ逝くこともない。わざわざ死んでどうするんだ、無駄な骨を折るためによ」
「どうして貴方は認められないんでしょうか」
「助け合わないからだろ」
「でも」
「正直俺は不特定多数には尽くしたくないな。それも見返り何ぞまっぴらだ。それが偽善という言葉に包括されるかは興味ないが、とかく俺は尽くしてそいつが見返りをしてこない、そういう相手にこそ尽くすべきだと思っている。いわば親に対する子供。子供がいくら親孝行ったって、親に対して本当に利益をもたらしているのか?親はただ喜ぶばかりで、別に必要とはしてねえさ。それで何か悪い?子供はまたその子供に尽くせばいいんだよ。そうやって動物は昔から生きてきて、必要最低限のおつきあいしかしてこなかった。人間が欲張りなのはまあ性質だから仕方ないけれど、何もそういう計算をしてつきあうんなら好きな奴とだけしゃべっているよ。それが間違っているのは知っているけどな」
哀憐に対して、古巣はそんな感じの語りを展開する。まさしく愚の骨頂。人付き合いとは建前のことであり、それ以外はつきあいとは呼ばぬ。それはつきあいのうちに含まれてはならないのに彼は堂々と含めてしまった。彼の意図せざるところに生まれる新たな宗教の教義。それはただ一人の信者にのみ伝達されたけれど、かすかなる言語感の相違によるすり替えによって伝播していくのだろう。もちろん、この話者の興味のあるところではない。
とかく、それにうらやましさを覚えるような時点で哀憐の敗北はすでに決まっていたといえよう。
作品名:偽善者賛歌17「羨望」 作家名:フレンドボーイ42