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深海

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 言っても伝わらないと嘆くのはいい。そんなのは手段を選ぶ者の戯言で、どんな言葉で飾ったとしても、それが伝わるかなんてことは誰にも分からない。それでも伝えずにはいられなくて、僕らは今日も不毛かもしれないのに愛を囁き合う。それに意味なんてなくとも。
 世界も人間も根っこからそう出来ているのだから不思議で、そうであるがゆえに悩み嘆く者がいる。明確な原因はなくて、それでもそういうふうに出来ている。以上、さっきまで読んでいた恋愛小説の要約だ。いや実際僕には分からないのだが。しかし確かに思えば世の中理不尽だらけで、「そういうふうに出来ている」で一体どれほどの現象が説明出来るのだろうかとつくづく思う。そりゃ思考もやめたくなる。それでもやめられないのが世の常なのか。そういうことなのか。
「…なの」
「…よ」
「…だよ」
「…だ」
「………うーん」
 何か短い一文節のような言葉を呟いてはうんうんと唸る彼女の行動は先5分ほど続いていて、このくそ狭い部屋で一緒にいてそれでも敢えて聞かないでいたがそろそろ不審だ。元来不思議な行動をしがちな彼女に、まだ知り合って間もない頃はよくどの都度その真意を確認していたが、最近はそれもない。それをしなくてもなんとなく分かるようになったのは、彼女に真意なんてないということだった。そういうことがしたいからする、とかそんな感じのもので、深い意味を求めるのは無駄だということだ。
 別にやること為すこと全てに意味がないといけない訳ではないし、それなら自分が彼女のことを好きになったことにだって意味は特にないわけだし、そこに意味が必要な訳がないし、強いていうならただ…いや、それはともかくだ。
 不思議な行動の多い彼女だが、かといってそういえば悩む姿を見掛けたことはあまりない。しかもさっきから結構な時間唸り続けている。
 これは尋ねてやることが男だろうか、というところまで思考が行き着いた所で思い立ったがなんとやら、口を開く。
「さっきから何悩んでんの」
 その瞬間、彼女は弾かれたようにこちらを向き、近づく、近づく、近く。
 鼻先が触れ合うんじゃないかという近さで、ゆらりと彼女の目に自分の間抜け面が映った一瞬は、世界が終わる寸前の様な静けさで訪れ、そして破られた。
「あなたのことが好き」
 唐突で真摯な愛の言葉を床と壁が飲み込み、窒息しそうな静寂、そして僕は途方に暮れる。
作品名:深海 作家名:若井