雪の降る夜に
『雪の降る夜に』
ケンタロウがケイコと知り合うきっかけになったのは、電話で見知らぬ男と女が話すことのできるシステムだった。そのシステムでは、偶然が全てを支配する。電話の向こう側に誰が出るかは、偶然の神のみぞ知る。また、相手が気にくわなければ、勝手に切ればいい。意気があえば、出会って何をしようと勝手だ。
十二月の半ば、雪がしんしんと降る深夜のことである。
ケンタロウが酔いにまかせて、雑誌に載っている電話番号を回した。十秒ぐらいで電話が繋がった。小さな声で女はケイコと名乗った。思いつくままに次々と話した。女もつられるように話した。話が不思議とあった。そして、翌日の夜に会うことになった。
その日は朝から寒くて、粉のような雪が降っては止んで、止んだか思うといつしか降っているというハッキリしない空模様だった。彼はむしゃくしゃしていた。彼は自分がインテリでハンサムという自負があった。そのプライトを踏みにじるようなことが起こったからである。半ば義理で付き合っていた女が、こともあろうに彼女の方から別れを告げたからである。彼女が選んだのは、風采の上がらない、二流大学の私立大のデブだった。不思議なことに、その男は妙に女にもてた。それが許せなかったのである。
午後七時四十五分頃から、雪の降るホテルの前で、若い女が茶色のコートを着て立っているのを、ケンタロウはホテルのロビーから見つけた。直観でケイコと分かった。けれど彼はためらった。どこか、己の心にあるある種のやましさを恥じていたのである。そのやましさが一体何であったのか、彼自身、わからなかった。いや逆にそれを明確にするのを恐れていたといった方が正しいかもしれない。
時計の針が八時十分を過ぎようとしていたのに、彼女のところに行く決心がつかなかった。ケイコが空を見上げた。彼は、その姿にどこか物悲しいものを感じた。
雪がさらに激しく降り始めた。ケイコが諦めて立ち去ろうとしたとき、ケンタロウは覚悟を決めた。
「ケイコさんだね?」
彼女はうなずいた。電話で言っていたとおりの恰好をしていた。茶色のコートに黒いリボンを髪に結んでいる。一瞥した限りでは到底二十五才にはみえない。まだの十九くらいの少女といった印象を受ける。
「君は二十五歳だよね」
「ええ」
「よかった」
「どうしてですか?」
透き通った瞳でケンタロウを見た。彼はうつむきがちに、
「これから、飲みにいこうと思ってね?」
彼女は躊躇の色をみせた。
「いいだろ?」とケンタロウは微笑んで、その手を取った。彼女が手を引っ込めようとしたが放さなかった。
耳元で囁いた。
「君だって、望んできたんだろ?」
彼女は小声で答えた。
「そうね、……寂しかったから……」
「分かっているさ」
ネオンに彩られた街に、まるで繰り返す波のようにひと押し寄せてくる。みな、どこか楽しげにみえる。独りぼっちの人間にとっては、こういった夜は耐えられない。ケイコもまたそのひとりではないかと、ケンタロウは寄り添って歩く彼女を横目でみながら考えた。
静かなピアノバーに入った。店の中は少し薄暗い。店の真ん中にスポットライトがあり、そこに大きな花瓶があり、たくさんの花が活けられていた。時間が早いのだろうか、広い店のなかは誰もいなかった。
黒い服を着たボーイが二人を案内した。窓側の片隅である。
「きれいね」
「君と同じさ」
「そういってたくさんの女のひとを口説いたんでしょ?」
ケンタロウは微笑んで答えなかった。
「ウイスキーするかい? それともビールかな?」
「どちらでもいいわ」
「じゃ、ウイスキーしょう」
あたかも注文を予期したかのように、ボーイが立っていた。ケンタロウはウイスキーを注文した。
ケンタロウは話し上手だった。まるで話の魔術師のように、ケイコからいろんなことを聞き出した。彼女は札幌市近辺の小都市の銀行員だった。家の門限は十時で、毎日が銀行と家の往復でつまらないと言った。
ケンタロウは少し腕を延ばすふりをして時計をみた。店に入ってから一時間が過ぎていた。次に何気なく店の中を見渡した。座席がほとんど埋まっていた。
ケンタロウはタバコに火をつけた拍子にケイコの顔をのぞいた。ほんのりと赤い。
「ねえ、あなたの話も聞かせて、私ばっかりに話させないで」
子猫が甘えるような声で言った。
「僕はただのサラリーマンさ。何の変哲もない」
「そうかしら?」
「どうして?」
「この傷は?」
彼女はケンタロウの顔の傷を示した。ケンタロウの顔が一瞬強張ったが、すぐに微笑んだ。
「子供の時、転んだ時の傷さ」
「つまんないな」
「喧嘩の傷かと思ったのかい?」
「分からないわ、……そんなこと」
二人は沈黙した。その時、甘い旋律のピアノの弾き当たりが始まった。
「都会は綺麗ね」
「そうかな?」
「絶対にそう。夜なのに、まるで昼のように明るいわ」
「田舎は嫌かい?」
「いやじゃないけど……でも、たまにとてもいやになることがあるわ、冬はとても冷たくて、暗闇だけよ。何か締めつけられるような寂しさに包まれることがあるの」
ケイコの話し方で、あまり嘘がつけない性分とケンタロウは判断した。すれたところもない。ひょっとしたらまだ処女かもしれない、と思うと、ケンタロウの良心が疼いたものの湧き起こる男の欲望はどうすることもできなかった。
「君は家族と暮らしているんだろ?」
ケイコがうなずくのを認めると、
「だったら、寂しくないだろ?」
「でも、ときどき寂しさを感じることがあるの」
「出ようか」とケンタロウは言った。
ケイコはうなずいた。
店を出ると、雪は止んでいた。ケンタロウは冷え冷えとした空を見上げながら、ケイコがついてきたなら、彼女を抱こう。が、ついてこないなら、抱くのは諦めようと決めた。 ケンタロウは勝手に歩き出した。その後をケイコはついていった。ふたりは華やいだ街の外れに来た。いかにもそれらしいホテルの前にケンタロウは立ち止まった。
「いいかい?」とケンタロウは尋ねた。
ケイコが返事を返す前に、ケンタロウはまた歩み始めた。
部屋に入って明かりをつけると、ケンタロウはベッドに腰を下ろした。ケイコは立ったままだった。
「よく、ここに来るの?」
「うん、と答える馬鹿な男はいないよ」
ケンタロウはネクタイをはずした。
「そうね」
ケンタロウの側にケイコも腰を下ろした。
「シャワーを先に浴びるかい?」
ケイコは立ち上がった。そして、彼女は帰る素振りをみせると、ケンタロウはその手をつかんだ。
「帰るのかい?」
ケイコは答えなかった。
「もう、子供じゃないんだろ、君も」
「そうだけど」と今にも泣き出しそうな声で言った。
「そして、君も望んでいたんだろ? 僕に抱かれることを」
「分からないの」
「じゃ、そういうことだ」と彼女の顎を手に載せ、素早く唇をふるった。唇から何かが恵
子に伝わってきた。それはケンタロウの欲望なのか、それとも……何のか判別できなかったが、
ケイコは受け入れる仕方ないと諦めたのか、抵抗しなかった。
ケンタロウは肩に手をまわし、豊かな臀部をなぜた。ケイコの身体が小刻みに震えた。
「君は感じやすいんだね」
ケンタロウがケイコと知り合うきっかけになったのは、電話で見知らぬ男と女が話すことのできるシステムだった。そのシステムでは、偶然が全てを支配する。電話の向こう側に誰が出るかは、偶然の神のみぞ知る。また、相手が気にくわなければ、勝手に切ればいい。意気があえば、出会って何をしようと勝手だ。
十二月の半ば、雪がしんしんと降る深夜のことである。
ケンタロウが酔いにまかせて、雑誌に載っている電話番号を回した。十秒ぐらいで電話が繋がった。小さな声で女はケイコと名乗った。思いつくままに次々と話した。女もつられるように話した。話が不思議とあった。そして、翌日の夜に会うことになった。
その日は朝から寒くて、粉のような雪が降っては止んで、止んだか思うといつしか降っているというハッキリしない空模様だった。彼はむしゃくしゃしていた。彼は自分がインテリでハンサムという自負があった。そのプライトを踏みにじるようなことが起こったからである。半ば義理で付き合っていた女が、こともあろうに彼女の方から別れを告げたからである。彼女が選んだのは、風采の上がらない、二流大学の私立大のデブだった。不思議なことに、その男は妙に女にもてた。それが許せなかったのである。
午後七時四十五分頃から、雪の降るホテルの前で、若い女が茶色のコートを着て立っているのを、ケンタロウはホテルのロビーから見つけた。直観でケイコと分かった。けれど彼はためらった。どこか、己の心にあるある種のやましさを恥じていたのである。そのやましさが一体何であったのか、彼自身、わからなかった。いや逆にそれを明確にするのを恐れていたといった方が正しいかもしれない。
時計の針が八時十分を過ぎようとしていたのに、彼女のところに行く決心がつかなかった。ケイコが空を見上げた。彼は、その姿にどこか物悲しいものを感じた。
雪がさらに激しく降り始めた。ケイコが諦めて立ち去ろうとしたとき、ケンタロウは覚悟を決めた。
「ケイコさんだね?」
彼女はうなずいた。電話で言っていたとおりの恰好をしていた。茶色のコートに黒いリボンを髪に結んでいる。一瞥した限りでは到底二十五才にはみえない。まだの十九くらいの少女といった印象を受ける。
「君は二十五歳だよね」
「ええ」
「よかった」
「どうしてですか?」
透き通った瞳でケンタロウを見た。彼はうつむきがちに、
「これから、飲みにいこうと思ってね?」
彼女は躊躇の色をみせた。
「いいだろ?」とケンタロウは微笑んで、その手を取った。彼女が手を引っ込めようとしたが放さなかった。
耳元で囁いた。
「君だって、望んできたんだろ?」
彼女は小声で答えた。
「そうね、……寂しかったから……」
「分かっているさ」
ネオンに彩られた街に、まるで繰り返す波のようにひと押し寄せてくる。みな、どこか楽しげにみえる。独りぼっちの人間にとっては、こういった夜は耐えられない。ケイコもまたそのひとりではないかと、ケンタロウは寄り添って歩く彼女を横目でみながら考えた。
静かなピアノバーに入った。店の中は少し薄暗い。店の真ん中にスポットライトがあり、そこに大きな花瓶があり、たくさんの花が活けられていた。時間が早いのだろうか、広い店のなかは誰もいなかった。
黒い服を着たボーイが二人を案内した。窓側の片隅である。
「きれいね」
「君と同じさ」
「そういってたくさんの女のひとを口説いたんでしょ?」
ケンタロウは微笑んで答えなかった。
「ウイスキーするかい? それともビールかな?」
「どちらでもいいわ」
「じゃ、ウイスキーしょう」
あたかも注文を予期したかのように、ボーイが立っていた。ケンタロウはウイスキーを注文した。
ケンタロウは話し上手だった。まるで話の魔術師のように、ケイコからいろんなことを聞き出した。彼女は札幌市近辺の小都市の銀行員だった。家の門限は十時で、毎日が銀行と家の往復でつまらないと言った。
ケンタロウは少し腕を延ばすふりをして時計をみた。店に入ってから一時間が過ぎていた。次に何気なく店の中を見渡した。座席がほとんど埋まっていた。
ケンタロウはタバコに火をつけた拍子にケイコの顔をのぞいた。ほんのりと赤い。
「ねえ、あなたの話も聞かせて、私ばっかりに話させないで」
子猫が甘えるような声で言った。
「僕はただのサラリーマンさ。何の変哲もない」
「そうかしら?」
「どうして?」
「この傷は?」
彼女はケンタロウの顔の傷を示した。ケンタロウの顔が一瞬強張ったが、すぐに微笑んだ。
「子供の時、転んだ時の傷さ」
「つまんないな」
「喧嘩の傷かと思ったのかい?」
「分からないわ、……そんなこと」
二人は沈黙した。その時、甘い旋律のピアノの弾き当たりが始まった。
「都会は綺麗ね」
「そうかな?」
「絶対にそう。夜なのに、まるで昼のように明るいわ」
「田舎は嫌かい?」
「いやじゃないけど……でも、たまにとてもいやになることがあるわ、冬はとても冷たくて、暗闇だけよ。何か締めつけられるような寂しさに包まれることがあるの」
ケイコの話し方で、あまり嘘がつけない性分とケンタロウは判断した。すれたところもない。ひょっとしたらまだ処女かもしれない、と思うと、ケンタロウの良心が疼いたものの湧き起こる男の欲望はどうすることもできなかった。
「君は家族と暮らしているんだろ?」
ケイコがうなずくのを認めると、
「だったら、寂しくないだろ?」
「でも、ときどき寂しさを感じることがあるの」
「出ようか」とケンタロウは言った。
ケイコはうなずいた。
店を出ると、雪は止んでいた。ケンタロウは冷え冷えとした空を見上げながら、ケイコがついてきたなら、彼女を抱こう。が、ついてこないなら、抱くのは諦めようと決めた。 ケンタロウは勝手に歩き出した。その後をケイコはついていった。ふたりは華やいだ街の外れに来た。いかにもそれらしいホテルの前にケンタロウは立ち止まった。
「いいかい?」とケンタロウは尋ねた。
ケイコが返事を返す前に、ケンタロウはまた歩み始めた。
部屋に入って明かりをつけると、ケンタロウはベッドに腰を下ろした。ケイコは立ったままだった。
「よく、ここに来るの?」
「うん、と答える馬鹿な男はいないよ」
ケンタロウはネクタイをはずした。
「そうね」
ケンタロウの側にケイコも腰を下ろした。
「シャワーを先に浴びるかい?」
ケイコは立ち上がった。そして、彼女は帰る素振りをみせると、ケンタロウはその手をつかんだ。
「帰るのかい?」
ケイコは答えなかった。
「もう、子供じゃないんだろ、君も」
「そうだけど」と今にも泣き出しそうな声で言った。
「そして、君も望んでいたんだろ? 僕に抱かれることを」
「分からないの」
「じゃ、そういうことだ」と彼女の顎を手に載せ、素早く唇をふるった。唇から何かが恵
子に伝わってきた。それはケンタロウの欲望なのか、それとも……何のか判別できなかったが、
ケイコは受け入れる仕方ないと諦めたのか、抵抗しなかった。
ケンタロウは肩に手をまわし、豊かな臀部をなぜた。ケイコの身体が小刻みに震えた。
「君は感じやすいんだね」