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夏空、雲のいろ。 1話

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彼女にフラれた。





 人生で、はじめて出来た彼女だった。

 こんな、チビで、何のとりえもなくて、野球部に二年以上いてもたいした日焼けもせず、背も伸びず、体重も増えず、学力は横ばい、へたしたらちょっと下がったりもして、クラスに男が20人いたら、20人中の下位5名に入りそうな、こんな俺を。

 すきだって。
 そういって、彼氏にしてくれた彼女に。




 フラ、れた。






「晄也。あーきや」
 ぽんぽん、と誰かが後頭部をたたく。
 いや、誰か、じゃない。こんなふうに俺に気軽にふれるのは、アイツしかいない。正直に言って、今視界にいれたくない男ナンバーワンのあいつだ。

「…優」
 体育座りをして、そろえたひざにのせていた顎を、わずかに上げる。
 我ながら不機嫌な声だと思った。否、不機嫌を通り越して、地割れを起こしている低い声音。
 はれぼったくなったまぶたを押し上げた向こう側で、無駄に造作のいい男が笑んでいる。
 さらさらした、栗色のまじる明るい髪。大きいわけでも小さいわけでもないが、形のうつくしい、バランスの良い瞳。鼻筋は通って高く、うすい唇のうっすらひらいた向こうに、素晴らしく良い歯並びが見える。


 イラッ。


 腹の奥で起こりそうになる癇癪を、理性でねじふせて口をひらいた。
「なんだよ。なんか用」
「落ち込んでんのか?」
「…俺の今の姿を見て、それ以外のなんかに見えんのか?」
「いーや。かつてないくらい、めっちゃくちゃに落ち込んでるよーに見える」
 だったら!
 ぐっとこぶしを握った。
「…ほっとけ。最低三日。一週間以上でもいい。とりあえずほっといてくれ。つか、かってに部屋に入って来んな帰れ」
 一週間でこの傷が癒えるなんて思っていない。
 残りの高校生活を費やしたって足りないくらいだ、きっと。
 でもとりあえず一週間、その期間くらいは、いわゆるイケメンの類の顔なんぞ見たくもない。高い身長、帰宅部のくせになぜかほどよく筋肉のついたバランスの良い身体。彼女がいたと聞いたことはないが、作ろうと思えば明日にだって出来るだろう。
「三日? 一週間?」
 ギリギリとこぶしを握った俺に、こいつ---近所に住む幼馴染の山田優は、不可解そうな顔で首をかしげた。
「なに言ってんの、晄也。そんなの無理に決まってる」
「無理じゃねーだろ、やれ。失恋した幼馴染にそんくれぇの気も使えないのかよ?」
「じゃあ」
 ずいぶんと理性のはげ落ちてしまった声音で言いつのる俺に、優が笑う。ふわりと指の長い手が、俺の、ざっくりと短い髪にふれる。
 ……つか今気付いたんだけど。近くねぇかこいつ。…なんなの。
「おれが」
 ふわっと、ぬるい空気が近寄る。
 人肌だ、と気付いたときには触れていた。頭の左側。抱え込んだ右側の手が、軽く、押すように動く。
 ちゅっと当てつけるように響いたリップ音に、頭が真っ白になる。
「なぐさめてあげるよ」
「…っ」

 ふざけるな。

 笑いをふくんだ声に、一瞬で激昂する。
 本当に、ここまで怒りを感じたのは初めてじゃないかってくらい。
 脳みそが真っ白になるくらい怒って、…同じくらい、泣きたくなった。そこまで今の俺は、可哀想なヤツに見えるんだろうか。幼馴染をして、こんな行動を取らせるほどに。

「指が壊れたら…野球ボール、持てなっちゃうよ」
 殴りかかった拳を簡単に止められる。
 それどころか、ふわりとゆるくつつまれて、引くことすら出来なくなってしまった。
 ぼろぼろと音をたててもおかしくないくらい、大きな粒の涙がこぼれる。
「かわいそうに」
「…っ」
 昔からだ。
 昔からそうやって、こいつは、俺のみぞおちをえぐるような真似をするのが、うまい。

 優の顔が近付く。
 取り返そうとした拳を、その握った指の反動で引きさえして、すぐさまもう、目の前で。

「スキだよ」

 人生で二度目、勝手に触れていった他人の体温は。
 なぐさめると言ったわりには傍若無人に、ずいぶんと長い間、唇の上にいたような気がした。