鏡と王子
美しい王子がいた。
彼は心根が優しく、唯一の欠点が醜いものを苦手だということだった。それを知っていた臣下は彼の周りから醜いものを遠ざけた。
ある日のことである。商人が「珍しいものが手に入りました」とやってきた。
大きな箱を王子の前に差し出した。
「この箱は?」
商人は恭しく前に出ると、箱から実に質素な鏡を取り出した。
王子は落胆した。
「これは?」
「単なる鏡ではありません。これは世にも不思議な鏡です。人の心の中を映し出す魔法の鏡です」
王子は笑った。いかつい顔をした商人が、まるで少女のように魔法などとお伽噺のようなことを言ったからである。
「心を映し出す? そんな与太話を誰が信じる……」と呆れた顔で言い放った。
商人は商いの旅から戻ってくると、必ずといっていいほど一番の宝を王子に差し出した。それがいつも王子の心をとらえた。それが今度ばかりは違った。
「年をとったな。幾つになった?」と王子が言うと、
「六十になるかと」と商人は少し戸惑い気味に答えた。
「ほう、そうか、まるで五十くらいにしか見えないぞ」
商人は嬉しそうに、
「まずは騙されたと思って鏡をのぞいてみてください。もしも何も起こらなければ、捨ててください」
王子は商人の話が馬鹿馬鹿しいと思ったものの、簡単に捨てるわけもいくまいと思って、部屋の隅に置いた。
あるとき、王子が道を歩いていると、一人の醜い少女が、「王子様にお願いがあります」と王子の服に触れた。
振り返ると、あまりにも醜い少女が手をついている。
「触るな、ばけもの!」と怒鳴った。その声に周りは時間が止まったように凍りついた。
彼自身も驚いた。どうして、“ばけもの”と叫んでしまったのか。自分自身を心優しいと思っていたので、ショックを受けた。その日から、心優しいという評判が冷たい人間だという評判に変わった。
王子は城から一歩の出ず、ふさぎ込んでいた。
ふと商人の話を思い出し、鏡をのぞいてみた。めまいを感じて倒れ、恐ろしい夢をみた。――
王子はこっそり城を抜け出した。城を抜け出して一人で遠出することは一度や二度ではなく、それが抜け出したことが発覚したとき、側近はまたかという顔をした。
城を抜け出した王子は森に行った。
森に入ると雲行きが怪しくなり、直ぐに雨となった。
王子は慌てて、大きな木の幹を見つけた。すると、その幹には、大きな空洞があったので、その中に入った。
空洞の中は薄暗く、足元にたくさんの小動物がいた。その中に大嫌いなトカゲもいた。彼はすぐに足で踏み殺してしまった。そのときである。
「何ということをするのだ」という声がした。
周りを見回しても、誰もいない。気のせいかと安堵したら、再び、「何ということをするのだ」という声がした。それは錯覚ではないと悟った。そしてずっと暗黒の空から、その声がしていることに気づいた。
「どうして殺した?」
「トカゲは醜くて嫌いだから」と王子は答えた。
「醜いものは生きる権利はないのか」
王子は答えられなかった。
「ならば、お前を醜いものにしてやろう」という天の声がした。同時に顔を焼けるように熱くなるのを感じた。
何が起こったのか分からなかった。
あたりを見回すと、雨がだいぶ収まっていた。空洞から出て、空を仰ぎ見ると、雲が切れ切れとなり、そこから日が差している。足元をみると、水溜りができている。その水溜りを覗き込むと、痘痕に覆われた醜い顔をあった。
馬はどこかにいなくなった。仕方なく歩いて城に戻ることにした。服は汚れていて、何よりも醜い顔をしていた。
城に入ろうとすると、門番に「何者だ」と止められた。
「王子だ」と答えると、門番は大笑いをした。
別の門番は「王子がお前のように醜いはずがない。王子はこの国一番の美男子だぞ」と言って殴った。また別の門番は剣を抜き「こんな不届きな奴は切ってしまえ」と言って襲いかかった。王子は慌てて逃げた。
命辛々に逃げだした王子は、あてもなくさ迷った。
いろんな人に「助けてくれ」、「水をくれ」、「食べ物をくれ」と頼んでも、無視されるか、それとも「うるさい! あっちへ行け!」と怒鳴れられた.
歩くのに疲れて、そのうえ空腹だった。王子は倒れるように道端に蹲った。
道行く者は誰も見向きもしなかった。醜く金もなさそうな人間に関わっても一文の得にもならないと思ったからであろう。
そこへ、一人の少女が来た。
前にばけものと言ってしりぞけさせた少女だった。
「疲れているの?」
前なら、こんな醜い少女をみたなら、驚き、そして忌み嫌ったであろう。しかし、今はそうではなかった。何か、とても嬉しい気持ちになった。
「疲れている。それに喉も渇いている」と答えた。
少女は「待っていて」と言って消えた。
しばらくすると、少女は柄杓に水を入れて戻ってきた。そしてエプロンのポケットにはパンが入っていた。
王子は涙がこぼれた。
人の優しさは見かけだけでは判断できないものだとしみじみ悟った。
――目を覚ました。
鏡の前にいることに気づいた。そして、全てが夢であったことに気付いた。が、それが摩訶不思議な鏡のよるものなのか、どうかは知る由もなかった。ただ、ばけものと叫んだ少女のことが気になり、臣下に少女を探させた。一言謝り、そしてどんな願いがあるのか聞こうと思ったのである。