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天秦甘栗  西方浄土

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その人は,いくつになっても夢見るような眼差しをしている。まるで,遠いどこかが見渡せるように,焦点をぼかしている。穏やかで,春の陽だまりのようにやさしい微笑みを口元に浮かべ,庭に目を遣っている。そして,俯き加減に池を見下ろした。珍しく放心したような顔だ。・・・・滅多にないことだが,その表情を創った妻を目にしたことはある。飼っていた金魚が死んで水面に浮いていた時のことは,秦海も覚えている。慰めようと抱き締めたら,手近の灰皿で殴られたのだが。
 近づくと,しゅっと機敏に身じろいで,態勢を整えた。野生動物並みの反応だ。もちろん,表情も変わっている。
「なに?」
「・・・誰か死んだか?・・・」
「・・・うん・・・やな奴や,あんたは・・・他人の顔色なんか窺う必要はないやろ?・・・財閥のボンのくせにさ。」
「おまえだけは窺わないと,エライ目に遭うからな。」
「有給とったから,今夜から消える。」
「お通夜なら,俺も・・・」
 すると,天宮は,知らぬ間に全部終わってたから,ひとりで送るんや,と呟いた。
「国税庁に転勤になる前にな,地方の税務署の署長したことがあったやん? 覚えてる,秦ちゃん」
「ああ」
「そんとき,そこのOBのじいちゃんと知り合いになったのよ。けったくそ悪い頑固じじいやったけど,なんかウマの合うじじいでさ。あたしがレースとか好きって,わかったら自分の息子がタイヤの大会社に働いてるからって,レースのチケットとかくれてな。まあ,貰いっぱなしはまずいから花とか送ったりしてたんや。去年の夏,暑中見舞い送ったら入院したっていうから見舞いに行ったら痩せてて,こらあかんなあとは思ってたんやけど・・・退院したから。もうちょい元気になったら温泉でも行けって言うてて・・・・今年のレースのチケットは送ってくれんかった。今年はしょっぱなから忙しかったから忘れてて,それで暑中見舞い送ろうと思ってたら情報が流れてきたんよ。梅雨時分に入院して,そのまま亡くなって密葬されてた。・・・・せっかく,飛び出す葉書買ったのに。」
 ひらひらと手元で,その立体構造の暑中見舞いが振られていた。気付かなかったことも辛いし,何より別れが言えなかったのが寂しいのだろう。
「ご仏前に供えにいくつもりか? それを」
 その葉書を供えて線香でもあげてくるのか,と秦海は思ったのだ。それが普通の対応である。しかし,普通ではないのが天宮だ。
「ああ,線香は供えてきた。でも,これは西の海に流してくる。・・・あのじじいは極楽に行けたかどうか怪しいけどな。まあ,届くことは届くじゃろうよ。」
「西? インドか?」
 あほっっ,と秦海の腕に裏拳が入った。いくらなんだって,インドはちと遠い。長崎か熊本の海岸まで走ってくると訂正された。それでも十時間かそこいらは走らなくてはならない距離だ。
「飛行機貸してやろうか? 天宮」
「あほかっっ,あんたは。行きは,そのじじいへの文句を,この葉書に染みこましとくから十時間必要なんじゃ。だいたい,あのじじい,あんだけ文句たれのくせに,人の枕元に暇乞いの挨拶もしくさらんで消えやがって・・・根性なしっっ・・・来年の夏は越せんとかぬかして・・・くそっっ,ムカつくっっ。」
 よほど気に入りの友人であったらしい。悪態に混じっている天宮の悼む言葉が,それを物語っている。他人に厳しい人間ではあるが,信頼した相手にはやさしい。他人に厳しく身内に甘くが信条の天宮は,身内と認めた人間には心を砕くのだ。
「おまえ,うちの親父が死んだら嘆いてくれるのかなあ,それくらいに」
「親父殿? あれが死ぬってか? あれは150歳まで現役のクチやから,あたしのほうが先かもしれん。」
 いや,おまえもな・・・と言いかけて口を抑えた。今,それを言ったら池に向かって叩き落とされるであろうことは,付き合いの長い秦海にはわかっている。
「一泊か? それなら泊まりの手配をさせるぞ。まだ,川尻がオフィスにいるはずだ。」
「金ないから,パーちゃんで泊まる。二泊ぐらいかな。・・・秘書は働かせて,あんただけご帰宅なわけ? 」
「また,車中泊か? 身体に悪いぞ。」
 パーちゃんは天宮の愛車深紅のパジェロの愛称である。金がない場合,ここに寝泊まりするのが天宮の旅行である。そういう落ち込んだ気分なら,手紙を送ったら,おいしいものでも食べて,ゆっくり温泉にでもつかってくればいいと秦海は思うのだ。金がないとか言うのもおかしな話で,その財閥のボンの妻なのである。だが,そういう物言いをしたら確実に天宮は怒るのだ。働いた範囲で,自分の生活はすると決めているためだ。
「悪くない。今月,読みたい新刊が続くからさ。本気で油と高速代しかない。」
「俺の車で行け。ETCつけてあるから高速はパスできる。それに泊まりも奢るから,な,天宮。」
「うっさいっっんじゃ,秦海。・・・じゃあ,出かけるから。余計なことしたら,ぶっ殺す。携帯も繋げないので,そのつもりで。最高タイム刻んでやるっっ」
「それはやめろ。せめて,うまいものぐらい食ってこいよ。予約しといてやるから。」
「・・・決められた時間はいやや。うまいもんなら,適当に食ってくるよ。金ないから土産はないからな。」
 つまり,野営なのだ。釣りもする天宮は食料を自らで調達することができる。おそらく厨房から米と塩だけは調達したであろう。ひらひらと葉書を揺らして,天宮がガレージに向かう。
「無理するなよ。」
「・・・あたしは,まだ,大丈夫。んじゃ・・・あんたも・・・勝手に消えたら墓から引き摺りだすからなっっ。」
 たぶん,自分が帰るのを待っててくれた。それに最後の言葉は,『死なないで,あなた』くらいの意味であろう。なんとなく,愛されてるかもしれない。やっと楽園に住んでる人と軽い抱擁ぐらいはできたみたいだ。


作品名:天秦甘栗  西方浄土 作家名:篠義