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ショート・ロング・ショート

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私はずいぶんとできの悪い親で、仕事人間でしたから、彼の運動会にいけなかったことがあります。遊園地に遊びに行く約束を反故にしたことがあります。子供の頃、レストランでお子様ランチの旗を集めてあげられなかったのを、今も悔やんでいます。爪楊枝とぺらぺらの紙でできたそれを、発泡スチロールの箱のふたにさしてコレクションするのが、あんなに好きだったのに。

それは仕方のないことで、ごめんよ、仕事があって、仕方なかったんだと繰り返すうちに、彼は家を出て行きました。今ではそれも当然だと思います。私は怖い人間でしたし、仕事人間でしたから、彼と話し合うことも、彼ののぞみを叶えてあげることも、ろくにできていなかったんです。

しかし、彼と別れたばかりの頃の私は、愚かにも裏切られたと憤り、その後泣きました。よくよく考えてみれば自分のせいだと、彼が離れて行く理由は十二分にあるとわかっているのに、それでも悲しい気持ちが止まらなくて、一時は仕事が手につかなかったほどです。

私の仕事は、多くの人の生活を支える大切な仕事です。それを手放すことで、おそらく、何人かの命が手のひらをすり抜けていったろうと思います。それもまた、悲しくて、悲しくて。

そうするうちに、彼は素敵なお嫁さんを連れて帰ってきてくれました。彼は、恥ずかしそうに頭を掻いて、彼女に、父さんと仲良くしなくちゃと諭されてきた、と言いました。彼女は彼の後ろで笑っていました。私は心底嬉しくて嬉しくて、また泣いてしまったのです。

彼女は、小さい体に大きな愛を抱えた、素晴らしい人でした。その日、夕食を共にして、彼女と彼と私で一晩中語り明かすうち、私が構ってあげられなかった寂しさを埋めて、両手一杯に彼を包んでいるのがわかったのです。彼女は言いました。「私はあなたと今日はじめて会いましたが、私はあなたのことをずっと知っていました。優しい彼は、いつもあなたのことを思い出して幸せそうにするから」

私は心底ほっとして、とても幸せな気持ちで、翌日彼女と彼を見送ったあとに 荷造りをしました。

素晴らしい彼女の支えがあるのなら、私はもう彼に寄り添う必要はないと思ったのです。私は怖い人間でしたし、仕事人間でしたから、彼女と彼の幸せを壊したくはないのです。二人が長く、長く幸せでありますようにと、祈るような気持ちで家を出ました。

二回目に私たちが再会したのは、彼女が亡くなったあとでした。彼の頭は白くなり、だぶついた腕の皮膚に骨が浮いていました。彼女が隠れていた広い背中はすっかり小さくなって、下がった目尻から悲しみが溢れんばかりになっていました。彼が私をたずねてきたとき、無言でぎゅっと抱きしめあって、それからまた一晩語り明かしました。彼女が居たときと同じように。

彼は、彼女が病と共にあろうとした勇姿を語ってくれました。病が私の体の同居人なら仲良くしなきゃ、と、病気に対してさえも、愛をもって語りかけていたこと。その効果か、一時はとても良い状態を保ち続けていたこと。一瞬でも彼といたいのに、『そばにいて』と言い出せなかった彼女の真心に泣いたこと。一晩中、出会った頃の諍いを思い出して謝りあったこと。その後何日も、そばにいた幸せを思い出して、ありがとうと伝えあったこと。彼女は、私は幸せすぎて死んじゃうから、あなたもそうなれるように、私のことを忘れて、と言って亡くなったこと。

最後に、彼は言いました。彼女は、あなたが居なくなったことを、ずっと悲しんでいたよ、と。

私は、うん、とうなづきました。お互いに、それきりでした。

昔の彼なら、子供の小さな彼なら、なぜ居なくなったの、そばにいて欲しかったのに、と、私に縋って駄々をこねたでしょう。ふくれて、口も聞いてくれなくなったことでしょう。

でも、その頃にはもう、いえ、ずっと前から、彼にも分かっていたのです。
私が、怖い人間だということが。

そうして、今、私の隣には彼がいます。
壁から天井までが真っ白く、窓がない。心音を計る機械の音だけが、緩慢に、規則正しく響いて壁に反響しています。目を瞑ったらもう、どこから音が発せられているのか分かりません。

私は、彼の瞳を見つめながら、彼の手にそっと触れています。彼も、目尻に涙をためて私の手を撫でるように指を左右に動かしながら、父さん、父さん、と、繰り返しつぶやきます。

私は、彼の耳元で、なんだい、と小さくたずねます。

彼は、痩せこけた頬、小さくひからびた体から、ほんの少し残った水分を一筋流して、濁った瞳で私を見返して言います。ありがとう、幸せだった、と。
そして、親不孝者で、ごめんなさい、と。

その遠くを見るような瞳の奥には、子供の頃、彼と出会った頃から何も変わらない、うっすらと茶色がかった黒髪、灰色のスーツに身を包んだ33才の私の姿がゆらゆらと揺れて、映り込んでいます。

私は、半世紀ほど前に小さい子供にしたのと同じように、愛してるよと言って微笑んで、彼の額にキスをしました。
本当は、喉は焼けるように痛かったし、瞳は涙をこらえてしびれていました。でも、長いお別れが、私から彼をゆっくり隠そうとしていたから、私は最後の一瞬まで、彼の後ろ姿を見るために、目をこらしていたのです。