天秦甘栗 恐怖体験
「よぉ! 天宮」
「あれ、天王寺! 秦海はまだ帰ってないよ」
「ああ、秦海なら逢って来た。おまえに用事だ」
そう言いながら、天王寺はドカドカと入って来た。肩からショルダーバッグをかけている。
「何の用?」
寝転んだまま、天宮はテレビのスイッチを切った。「まあ待て」と天王寺はカメラケースのようなバッグを開けて、中身を取り出した。それは紫のあでやかなヒヤシンスだった。
「紹介しよう。ヒヤシンスのマイコだ」
ガラスの水耕栽培の容器を高々と天宮の前に差し出した。異様な光景に、がばっと天宮はソファーに起き上がった。
「何なの? それ」
「見事だろう? 俺が心血を注いで育てたプリンセスだ。天宮にはお初だな」
そう、天王寺は毎年ヒヤシンスを一鉢育てる。それはそれは大切に毎日、家にも、職場にも同伴出勤(そういうもんかー?)している。特に天王寺は、容器の水かさを気にしている。球根に水があたると、腐ってしまうし、根が水につかっていないと花が咲かない。毎日、そうやってずっと仕事の合間もヒヤシンスに愛を注ぐのである。
「マイコは少し色気のあるいい子や。俺の言葉にもよく反応してくれるしな」
怖いよー、と天宮はひいているのに、天王寺は意にも介さない。本当に、うっとりとした眼でヒヤシンスを見ている。
「危ないよ、天王寺」
「大丈夫!! このケースはヒヤシンス専用だ。大切にしてマイコを運んでるからな」
そうじゃなくて、と天宮は手を振った。おまえの神経だよー、と言いたかったが、怖いので止めた。
「毎年、名前つけるの?」
「ああ、昨年はサヤカ、おととしはグレース、その前はタミ、ずっと名前をつけてるんや」
「毎年1コ?」
「当たり前や。俺は1人にしか愛をささげられへん性格の人間なんや。だから、毎年1鉢!」
竹を割ったようなさっぱりした気性の男が、照れながらこう言った。相手が人間だったら、天宮もその言葉をいたく感動して受け止められただろうが、その相手は物を言わぬヒヤシンスである。
「天宮、マイコを持って声をかけたってくれ」
「えー」
「マイコは、派手好きやないが、それなりに愛想のある子や」
どこが!と天王寺を見たが、目が本物である。仕方なく、天宮は容器を手にして「かわいいね」と、ヒヤシンスに声をかけた。確かに、天王寺が心血を注いだというだけあって、いい匂いのする綺麗な花である。そして花の色も、どぎつくもなく薄すぎるわけでもなく上品である。
「マイコ、よかったなあ。さあ行こうか」
天宮からマイコを受け取ると、天王寺はそっとケースに納めた。そして、来たとき同様、「ほな、さいならー」とドカドカと帰って行った。
「そうか、天宮のところへも来たか」
帰宅した秦海に、信じられない光景を目撃したと天宮が騒いだ。しかし、秦海は動じない。もう、ずっとそのヒヤシンスを、毎年おがまされいるからだ。
「今年はマイコか、まあ、かわいかったな」
「今年はって、毎年あるの?」
「ああそうだ、この時期、あいつはヒヤシンスが恋人だからな。俺のところへは、朝来たんだ」
げろげろー、と天宮はソファに寝転んだ。怖すぎる。自分の友人もおかしな人間が多いと思うが、秦海の友人の方がもっと怖い。
「ああやって、友人知人に見せて回るのが毎年の行動だ。それから4月頃までは、ヒヤシンスが枯れて静かになる」
「ちょっと意見してあげたら? 秦海」
「何をだ? まあ、もっとも俺にとっては天宮の方がマイコよりも何百倍かは愛しいがな」
ヒヤシンスと比べるなー、と天宮はソファに腰かけている秦海の肩を足で軽く蹴った。ハハハ…と秦海は笑っているが、天宮は「こいつも、おかしいんだなあ」と考えてしまった。なにせ、類は友を呼ぶのだ。
「さあ、飯にしょう。起きろ天宮」
うん、と秦海が差し出した手を持って、天宮は起き上がった。そんな光景を執事の井上は、とても微笑ましいとニコニコと遠目に眺めている。
「おまえだって、コイに名前をつけてるじゃないか。金ちゃんとか、ミケとか、一緒だろ?」
それは違うー、と天宮は反論した。そう、天宮も秦海の連れ(現在は妻だけど)である。
「私のは生き物だし、わざわざ見せびらかして無い」
「だから、天王寺のは少し激しいだけだ」
「それで、カタがついちゃうの?」
「そうだ」
天宮は、なんとなく納得がいったので、もうそのことにはふれないでおくことにした。ただ、今度天王寺に逢ったら「ヒヤシンス男」と呼んであげようと、ひそかに思いはしたのであるがー。