チョコレート・シャボン
だめだったら、髪を切ろう。ばっさり切って、いや、元々ショートヘアだけれど、もっと短く、潔く切ってしまおう。
バレンタインに乗じるのだから、そのくらいの覚悟でチョコレートを渡そうと思った。
そして中学から三年も片思いを続けていたその人は、「彼女がいるから」と言って、チョコレートを受け取ってもくれなかった。戸惑ったような顔で私の隣をすり抜けていく彼からは、いつもは気付かなかった、シャンプーの花のような香りがした。
放課後、大真面目にかのちゃんに電話をかけた。
「きのう失恋したから、いまから髪切りにいく」
「うそ、古風! でも、元からショートでしょ」
「もっと切るの。ベリーショートにする。バッツンって」
私が大真面目に言うと、かのちゃんは私の決意に賛成も反対もせず、「後でファミレス行こ?」とだけ言った。
かのちゃんは中学のころの同級生で、今は別々の高校に通っている。それでも、彼女は私が髪を切り終えると駆けつけてきてくれた。おごってくれるというかのちゃんの申し出にはしっかり甘えて、パフェをつつく。
「後ろ髪引かれる思いだなあ」
「こんなに後ろ髪切っといて、何言ってんの」
かのちゃんがテーブルに肘をついて笑うと、彼女の頬がぷっくりと上がった。
ピーチ色のチークのラメがきらきら光る。店のライトでうぶ毛がうっすらと白くかがやいて、ほんとに桃みたいで、かわいい。
「やっぱりこの頭、微妙かなあ。いっそのことツルツルにして、修行でもしに行っちゃえばよかったかな」
むき出しのおでこや耳を撫でてみる。中途半端に残した髪の毛。私はあまりにもハンパだ。ふられても、髪を切っても、三年続けた片思いの気持ちを忘れられずにいる。
「この髪型もすっごい似合ってるよ。ヘプバーンみたいで」
「私にラブストーリーは似合わないよ」
「すぐに好きな人できるよ」
「無理だよぉー」
私はわざとらしくテーブルに突っ伏してみた。かのちゃんは少し苦笑いして、静かにコーヒーに口をつけた。
きっとかのちゃんが失恋しても、かのちゃんはきっと悩まない。かのちゃんはきっと髪を切らない。かのちゃんは、きっとすぐに立ち直る。そして恋のアンテナをぴんと立ててさっそうと街を歩くだろう。そしてまたすぐ、素敵な人を見つけだす。
そんなかのちゃんが羨ましい。そんなふうになれたら、どれだけ素敵だろう。かのちゃんにはかなわない。私はみじめで仕方がなかった。
外に出るとすっかり暗くなっていた。そばで営業しているチョコレート屋の匂いを運んでくる風が、思ったより冷たい。
「うわあ、寒そう。春になってから切ればよかったのに」
「あ、ありがとう」
私の首に、かのちゃんがマフラーを巻きつけると、かのちゃんがいつもつけていた香水と違う、シャボンとフローラルの香りがした。
「香水変えた?」
「うん、今年の限定モノ」
私が尋ねると、かのちゃんは嬉しそうに答えた。
「なんか、嗅いだことあるかも。誰かつけてたような」
「ユニセックス香水だから、男子かもね」
清潔なシャボンとフローラルの香り。近くからやってくる、チョコレートの匂い。
あの人の戸惑った表情がふとよみがえる。今日はバレンタインだった。彼から香ったのはシャンプーじゃない。シャボンと、フローラルの。
「あたしも、彼と同じのつけてるもん」
だから私、かのちゃんにはかなわない。
作品名:チョコレート・シャボン 作家名:ロマンチヒコ