美しい人
彼は美しかった。まるで、世界が生んだ最高の宝石のようだった。彼の瞳はどんな人でも惑わすことが出来たし、彼の言葉を聴いて従わない人はいなかった。たとえどんな人間でも、総じて彼に甘かった。
きっと、あまりの美しさに酔わされていたに違いない。そんなことを彼に呟くと、彼はいつも笑って返事をしないのだ。
「死ぬの」
彼は美しかった。どんな人間でも惚けさせる魅力があった。でも、どうやら病気を懐柔することはできなかったようだ。美しい彼は、病気になった。死期は、近い。
真っ白なベッドの上で、彼はいつもどおり美しかった。彼は私の言葉に微笑んだ。その笑みをしてしまったものが、微笑み返さずにはいられないような、いつもの笑顔だった。
「うん」
彼は嬉しそうだった。大抵の人間は死ぬことを嫌がりそうだが、彼は違うらしい。まさか生きてることが嫌で、死ぬことが楽しみなのだろうか。でも、どこまでも美しい彼が、幸せじゃないなんて、それこそ理不尽だ。私は、美しい彼から、マイナスをイメージする言葉を聞いてことがない。だが、彼は嬉しそうだった。
どうして、ときいてみようかとも考えたが、世界で一番の美しさを持つ人間の思考なんて分かるわけがないのでやめた。彼は美しいから、きっと、死に対しても美しい心構えでいるのだと思った。
「そろそろだね」
そういって、彼は私に笑いかけた。まるで花がほころぶような微笑だった。美しかった。私はただ頷いた。
私はとてつもない違和感を感じた。彼に真っ白なベッドが似合わなかった。あまりにも美しい彼には、病院のベッドは粗末すぎた。ならばどんなベッドが彼に似合うのか。今思い返してみると、彼の美しさに見合うものなどあっただろうか。カラフルな色も、シンプルな服も、華奢な家具も、素晴らしい豪邸も、彼には似合わなかった気がする。
彼は美しかった。他と比べようがない、超越した美しさだった。だから、きっとこの世では彼に見合うものがなかったのだ。彼はもしかすると、本当の自分の世界へ旅立とうとしているのかもしれない。それなら死は、怖くない。
彼は美しかった。誰よりも美しかった。微笑んだままあの世へ行こうとしている彼は、世界が生んだ奇跡だった。今にも死のうとしている彼に、私はおとなしく、餞別のキスを贈った。