星のない世界
この家に住所はない。森の奥にぽつんと建ち、誰もその存在を知り得ない。
この家に続く道はない。しかし夜な夜な人が迷い込む。
迷い込むという表現は適切ではない。彼らは、自らの意思でここにたどり着く。そしてその意思は共通している。
今夜もまた一人。
「こんにちは、お姉さん」
少年は笑顔で話しかける。
「・・・」
少女の目はまっすぐ前を見つめ、動かない。
「こんにちは、お姉さん」
「・・・私に話しかけないで」
「どうして?外は寒いよ。スープがあまってるんだ。一緒に食べよう」
少年は笑顔で言った。
「そんな気分じゃないの。私はね、死のうと思ってここに来たの」
「どうして死ぬの?せっかく来てくれたんだから、もう少しお話しようよ。お願い」
少年は少女をまっすぐ見上げる。
少女の顔が少年に向いた。
「いいわ。最後にお話ししましょう」
少女は冷たい声でそう言った。
「ありがとう。さあ、入って」
少女はテーブルの前の椅子に座る。少年は台所で、椅子の上に立ちスープをよそう。
「ワン!」
犬が少女に寄り添っていく。
「この子は?」
少女は少年に問いかける。
「モモだよ。友達なんだ」
「そう」
テーブルに二人分のスープが並ぶ。
「どうぞ」
ランプの明かりが照らす中、少女はスープを口に運ぶ。少年はうれしそうにそれを眺め、自分もまた食べ始める。
少女はおもむろに口を開いた。
「私はね、学校でいじめられてたの」
カチャ、カチャ、と、少年は夢中でスープを食べる。
「朝学校に行けば、私の椅子と机がないの。いつもベランダに出されているの。
トイレに行けば、思い切りドアを蹴飛ばされるの」
「ふうん」
少年は、スープを食べながら相槌をうつ。
「誰も私と話さないの。私の存在を、クラスの皆で否定するの」
「ふうん」
「でもね、平気だった。何年も、何年もずっとだから、もう慣れていたわ。それに、一人だけ、友達がいたの。その子だけは、普通に私と話してくれた。どんなに周りが私を無視しようと、その子だけは私を見ていてくれたの」
「うん」
「けどね、ある日その子が急に私と顔を合わせてくれなくなったの。その子の頬には、小さなアザがあったわ」
「うん」
「私はひとりぼっちになったの。わかる?私がいると、みんなが嫌な思いをするの」
「うん」
「だから、そんな私は、いなくなった方がいいの。だから、ここに来たのよ」
「うん」
カチャ、カチャ。少女はまた一口、スープを口に運ぶ。
「あなた、友達はいる?」
少女は少年に問いかける。
「モモだよ。ずっと一緒なんだ」
少年は笑顔で答えた。
「じゃあ、もし、モモがあなたを裏切ったら、あなたどうする?」
少年は不思議そうな顔をした。
「僕はね、モモが本当に好きなんだ。いままでも、これからもずっと」
「そう」
「お姉さん、お姉さんも、僕の友達だったら、僕はすごくうれしいよ」
「そう。でも、私はあなたの友達にはなれないわ」
少女は悲しげな顔で言った。
少年もまた、悲しそうな表情を浮かべる。
「うん。友達になるのは、大変だね」
「そうね」
カチャ。少女は最後にスープを飲むと、立ち上がった。
「もう行くわ」
「うん」
少女は扉を開ける。後ろから少年が声をかける。
「お姉さん、今日はお話してくれて、どうもありがとう」
少女は立ち止まる。そのまま振り向かずに口を開く。
「私こそ、ありがとう。スープ、ごちそうさま」
震えた声でそう言うと、少女はゆっくりと扉を閉めた。