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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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ファントム・パラレル-月光姫譚-

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Illusion3 霧


 ――しばらく時間が流れ、再びベレッタが口を開いた。
「これから危ないところに行くから、メイとはここでお別れ。せっかく会えた人間だったのに、少し残念ね。お互い生きてたらまた会いましょう、バイバイ」
 素っ気無く言ったベレッタは背中越しに手を振って歩き出してしまった。
 また置いていかれた。そう思ったメイは急いで地面を駆け、ベレッタの前に立ちはだかった。
「どこに行くの? 僕も行くよ」
「お子様は危ないから暖炉のあるおうちで、温かいスープでも飲んでたら?」
「お子様って僕のことを言ってるなら、ベレッタは僕より子供じゃないか!?」
「アタシは絶対に魔女を殺すの」
 魔女という言葉に反応してメイの脳裏にあの女性の姿が浮かぶ。喪服を着て、愁いの帯びた顔をしていた。どことなく透き通ったイメージを持っていたあの女性は魔女と呼ぶには相応しくないように思えた。
「あの人そんな悪い人に見えなかったよ」
「そうかもしれないけど、今はナイト・メアにたぶらかされてる」
「ナイト・メアって僕らを殺すように命じた仮面の奴だよね、あの人がそう呼んでたような気がする。あ、待って、あのナイト・メアも人間じゃないの? 人間は二人だけだって言ったよね?」
「あれは悪魔だから人間じゃない。この世界に突然現れて、お姫様をたぶらかせて、この世界を永遠の夜で包んだ張本人」
「永遠の夜ってなんのこと?」
 そう言えばベレッタが夜空を見上げながら呟いていた。
 ――いつになったら朝が来るんだろうね。
「そんなことも知らないの。記憶喪失って嫌ね」
 ベレッタは鼻で笑った。
 本当は記憶喪失だから知らないのではなかった。メイはこの世界の住人ではない。ベレッタはメイがこの世界の生き残りだと勘違いしているのだ。
 手の焼ける子供を見るような眼差しで、ベレッタはメイの瞳を見つめた。メイはこの感覚に、どこかで感じたことのあるような懐かしさを覚えた。
 少し間を置いてベレッタが顔についた薔薇の蕾を小さく動かした。そこから発せられた言葉は子供に物事を説明するような優しい声。
「この世界は一日中闇に覆われ、決して朝が訪れることがなくなってしまったの。アタシは光を取り戻したい。それだけ、アタシの想いはそれだけなの……」
 ベレッタの紅い衣装は憎悪や怒りなどを示しているように思えた。けれど今は違って見える。紅い衣装は外側だけにしかないのだ。内にいるベレッタの心は紅に隠されている。
 真剣な顔つきをしたメイの腕は上にはあげられていないが、その拳は下を向きながらぎゅっと硬く握られていた。
「僕も行くよ、魔女っていうひとやっつけに行くんじゃなくて、話がしたいんだ。ほら、話し合いで解決するかもしれないじゃないか?」
「好きにすればいいわ、話し合いなんて無駄だと思うけど」
「やって見ないとわからないじゃないか?」
「やっても駄目だったのよ。ナイト・メアに良心の心はないし、魔女だって今は悪者に成り下がったわ。歯向かう者はみんな殺されちゃうのよ」
 メイにはなんとも言えなかった。確かにナイト・メアは自分たちを殺そうとした奴だ。けれど、メイは覚えている。あの女性はナイト・メアを止めようとして、メイを助けようとした。
 少し悲しいような、怒っているような、なんとも言えない表情をしてベレッタはそっぽを向くと、そのままメイを置いて歩き出してしまった。
 静かな森に静かな足音が二つ響く。
 メイはベレッタの後ろを一歩下がってついていった。ベレッタは何も言わない。だから、メイも何も言わなかった。でも、それがメイはもどかしかった。
 世界が闇に閉ざされようと、森の中では花が光を放ち、微かに小動物たちの気配もする。闇の中にも世界があって、色彩があって、生命の躍動がある。けれど、昼に比べれば虚しい感じがする。闇の中に響く音はどこか虚しいのだ。
 森の中をしばらく歩き、二人はあの湖まで再び戻ってきた。
 ここに人の気配はない。マガミの気配もない。静かな静かな夜の湖がそこにはあった。
 月は丸く、蒼白い光によって水面が煌き囁き、妖精たちが噂話をしているようだ。
 湖の向こう側は不気味な白い靄に覆われ、その奥に微かな影が見える。天を衝く巨大な影――それは塔だった。
 ベレッタは塔の下から上に向かって指差し、肩越しに顔を後ろに向けてメイを見た。
「あの塔に姫が住んでるの。満月の晩だけ外に出てくるから、そこで襲おうとしたんだけど失敗。もう二度と同じ手は使えないわね」
「ごめん、僕のせいだよね」
 自分を責める表情をしたメイに対してベレッタは少し笑って見せた。ベレッタは言葉を発さずただ笑っただけだったが、そのおかげでメイの心はだいぶ救われた。
 塔は湖の中心から天に伸び、泳いでいくかボートなどの乗り物を使うしかなさそうだが、乗り物は近くに見当たらない。
 あの女性は水の精を思わせる軽い足取りで水面の上を歩いていた。もしかしたら、この世界では水の上を歩けるのかもしれない。けれど、違うらしい。
「どうやってあの塔まで行こうかしら?」
「ボートは?」
「ないわよ、そんなの。あいつらは不思議な魔法でなんでもできちゃうんだから、ボートなんて用意してない」
「じゃあ、僕らはどうやって行くの?」
「それを考えてるんじゃない」
 少し顔を赤くしたベレッタは腕組みをして黙り込んでしまった。
「ベレッタは泳げるの?」
「泳げないわよ、悪かったわね」
「よかった、僕も泳げないんだ」
 安心した笑みを浮かべるメイにベレッタは心の底から呆れ返った。
 木の葉がカサカサと揺れ、闇の奥に金色の光が浮かび上がった。それもひとつではなく、二つ四つ六つと輝いている。
「逃げるのよメイ!」
 叫び声をあげたベレッタにメイは反応しきれず、後ろを振り向いただけで精一杯だった。木陰から飛び出してきた三匹の羊がメイの瞳に映し出される。
「わあぁぁっ!」
 羊の背中が裂け、中からマガミが飛び出し牙を向ける。
 銃が火を吹きマガミがメイの目の前で黒土に落下する。しかし、マガミの脅威はベレッタを襲っていた。
 二匹のマガミがいっせいにベレッタに襲い掛かる。メイを助けてしまったうえに、一匹目を殺しても、生き残った一匹にベレッタの身体は八つ裂きにされるだろう。
 誰もがもう駄目だと思う状況で、メイは強く目を瞑った。ベレッタが獣に喰われるところなど、見たくもない。
 突風が巻き起こり、目を瞑っているメイの鼻を強い薔薇の香りが衝いた。
 悲痛な獣の叫び。何かが迸る音。薔薇の匂いは咽るほどに強まった。
 メイは目を開けるのが怖かった。しかし、開けずにはいられない。見てないところで何かが起こったの明らかだった。
 恐る恐るゆっくりと目を開けたメイの瞳に映し出されたのは、紛れもなく薔薇の使者――ファントム・ローズ。
「真に危険が迫った時、真に私が必要な時、私は現れてしまう。助けたのは余計なお世話だったかい?」
 風に揺れるインバネスに身を包み、手には鞭と化した太い薔薇の茎を握っていた。その傍らには狼の形をした薔薇の花びらの山が二つある。その薔薇の山は風に吹かれると、渦巻きながら天に昇って舞い上がった。そして、あとには何も残らない、何も――。