ファーストキスはなんの味
真剣な顔をして、佑真が言った。
「いや……いやいやいや、俺が無理だわ」
健治は佑真の揺るぎない目から視線を逸らした。
「なんでだよ!」
「いやお前、馬鹿じゃねーの?」
「頼む健治! もう頼れるのはお前しかいないんだ!」
「いや……無理……」
「俺が彼女にふられてもいいっていいのか!?」
「いや……まあ……うん」
「この人でなし! 冷血漢! お前がそんなやつだとは思わなかった!」
「俺も、お前が男とキスしたがるやつだと思わなかったよ……まじ、友達やめていい?」
「違う! 俺は男とキスしたいんじゃない! 彼女とキスする前に予行練習したいだけだ!」
***
話は数分、遡る。健治の部屋で、何をするでもなくダラダラしているとき「明日、彼女とデートする。初めて」と佑真が切り出したのが始まりだ。
「へえ、良かったじゃん」と健治は返した。
「それが、良くないんだ」と佑真が肩を落とす。
「ぶっちゃけ俺は、キスをしたことがない」
「…………へぇ」
特別知りたくもない情報だった。
「しかし、明日、俺は確実に初キスをするだろう」
「そうなればいいよな」
本当はどうでもよかった。
「土壇場でテンパると、まずい。すごく」
「うんまあ、頑張れよ」
今日の晩御飯何かなあ。この話まだ続くのかなあ。
「そういう失敗談を、テレビとかでよく見る」
「あー」
こいつ早く帰らないかな。
「健治」
「なんだよ」
「お前を男と見込んで頼みたいことがある」
「なんだよ」
「キスさせてくれ」
***
ありえない申し出だった。実のところ、健治もまだキスを経験したことがない。男がファーストキスの相手になることは御免こうむりたいところだった。
佑真の目は真剣だ。こいつは本気なのだと、健治はごくりと生唾を嚥下し、ずるずると尻で後退する。唇を手で覆いながら。逸らしたままの目は、武器を探していた。手の届く範囲にあるものはクッション、CDとゲームのケース、携帯。だけだった。もっと殺傷能力のあるものはないかと血眼になるが、あいにく、なさそうだ。
(CDのケースの角を使えばなんとか……)
なるはずがない。
「お前、犬飼ってんじゃん。ディープキスの練習させてもらえば?」
「やだよ犬がファーストキスの相手だなんて!」
「俺だってお前が相手とか嫌だわ! めちゃくちゃ嫌だわ!」
「頼む健治、俺を男にしてくれ!」
「心配すんな、お前はもう男だ!」
「意味が違う!」
「お前死ね! もうマジで死ね! よく考えろ佑真、お前の彼女は、お前がキスド下手くそだからってお前をふるようなやつか? 違うだろ!」
佑真は沈黙した。難しそうに眉の間にしわを寄せて、視線を下げている。
そして、顔を上げ頷く。
「そんな彼女だ」
「お前もう別れろよ! 今すぐただちに別れろよ! なんだよその女!」
「だって好きなんだよ~!」
これが……これが恋する男の姿なのか!? 醜い! 男というだけでなんか嫌だ! どうして今目の前にいるのが女じゃないんだ! 女だったらキスの練習どうたら言い始めた時点でぶちかましてるのに! と、健治は瞬時のうちに考えた。
「もう友達やめられてもいい! 俺は愛に生きる!」
「うわあああ!?」
佑真が健治に襲い掛かった。目が血走っている。健治は一番近くにあったクッションを掴んだ。よりにもよって一番殺傷能力の低そうなクッションを。それを振り回したところで痛くも痒くもないだろう。
「死ね馬鹿! やめろ馬鹿!」
全身を使って拒むが、マウントポジションを取られてしまっては現状をひっくり返すことは難しい。
すわ、最悪の事態かと悲観したところで、部屋のドアががちゃりと開いた。
「何してんの……?」
健治の妹が、不審そうな顔をして部屋の中を覗き込んでいる。
「「………………プロレス?」」
「ふぅん。お母さんが、静かにしなさいって」
ぱたん、とドアがしまる。
「………………」
佑真が静かに体を離し、
「………………」
健治は居住まいを正して、クッションからCDのケースに持ち替えた。
「………………」
佑真が無言で、ドアを見つめている。
「…………妹に手を出したら、貴様を殺す」
健治はそれだけで人を殺せそうな低い声で唸った。
「出さねーわ!」
「信ぴょう性がねーんだよっ!」
「俺は彼女一筋だ!」
「友達の妹に手ぇ出さないとかじゃないんだ!? お前マジで最悪だな!? もう友達でもなんでもねーわ!」
「俺は愛に生きるっ!」
「もう彼女にふられちまえ、この馬鹿!」
今度は本当に本気のプロレス合戦が繰り広げられた。
作品名:ファーストキスはなんの味 作家名:ラック