苦しい片思い的10のお題(男性視点)より【彼氏に甘えろよ】
背後で気持ちの悪い猫なで声がした。それが自分に向けて発されているものだとわかっていて、勇平はあえて、無視を貫いた。
「ねえ、ちょっと、勇平!」
ばん、と肩を叩かれて、嘆息。これ以上無視するわけにもいかないので、勇平は立ち止まって振り返る。クラスメイトの石川春香が、拗ねたような顔で勇平を見上げていた。
「……なんだよ」
「ケーキバイキング行こっ」
「やだよ、一人で行けよ」
それか彼氏と行けばいいじゃん、という言葉は飲み込んだ。理由はない。なんとなくだ。
春香はぷぅと頬を膨らませた。彼女には少し、子供っぽいところがある。甘やかされて育てられたの、と以前笑いながら言っていたことを、勇平は覚えていた。確かに彼女は甘ったれで、自分のかわいらしさを知っていて、大抵のことは思い通りになると思っている節があった。
誰もかれもがお前を甘やかすと思ったら大間違いだ。勇平は、そんな台詞をたびたび思い浮かべるが、実際に言ったことはなかった。理由はない。なんとなくだ。
「一人でケーキバイキングとか、無理! 絶対に無理! 恥ずかしいもん」
「じゃあ行くのやめたら」
「やだ~、今日はケーキの気分なの」
「コンビニとか」
「バイキングに行きたいの!」
「俺が甘いもの嫌いなの、知ってんだろ」
「勇平は、私が食べているところを見てたらいいじゃない」
「お前なぁ……」
自分勝手な物言いだ。春香が勇平をケーキバイキングに誘うのは、ほかに一緒にいけるような友人がいないからだ。同年代の少女に受け入れられるような性格ではない。
「……俺の分の金、お前が出せよ」
「信じられない! 女の子に払わせるつもり!?」
「俺、食わないもん」
「勇平バイトしてるんでしょ? 私よりもお金持ってるじゃん」
「食いもしないケーキに払う金はありません」
「けちぃ男はもてないよ」
「相手がお前じゃなかったら出すわ」
「なにそれ!? 差別だわ!」
「差別じゃない、区別だバーカ」
なにそれ、信じられない! と春香が喚く。信じられないのはお前の考え方だ、と勇平は思った。
ぶつぶつ文句を言われながら、それでも勇平は春香と一緒にケーキバイキングに行くために下駄箱に向かった。結局自分も、春香を甘やかしている人間の一人なんだよなあと微妙な心境になりながら。
上履きから靴に履きかえて、向かうのは駐輪場だ。頭がおかしいとしか思えないショッキングピンクのママチャリが、春香の登下校ツールだった。
「勇平、前ね」
「はあ? お前が前だろ」
「筋力アップに貢献してあげようっていうんじゃない。私の優しさよ、これは」
「これから恐ろしいほどの糖分を摂取するお前のカロリーを消費するために、譲ってやるよ」
春香がばしん、とまたもや勇平の肩をどついた。
「デリカシーのない男は、もてないよ!」
「お前にやるデリカシーはない」
「最低! 馬鹿! 勇平前! 絶対に、前!」
結局、勇平が自転車を操縦することになった。これ以上の押し問答が面倒くさかったのと、春香が自転車を操縦することになってもきっと前に進まないだろうということで。
最低で、馬鹿で、デリカシーがないのは春香の方だと、勇平は思う。
(彼氏に甘えろよ)
声に出さなかったことに意味はない。なんとなくだ。
腹部に回された華奢な腕と、背中に感じる柔らかさに跳ねた心臓に、きっと罪はない。
作品名:苦しい片思い的10のお題(男性視点)より【彼氏に甘えろよ】 作家名:ラック