C&B
「つまらないな」
誰にともなく呟く僕の声は、周りの景色の中に消えていったかのように、誰の耳にも、自分の中にすらも残らない気がした。
そもそも、ここはハイキングコースとして有名なとある山中の橋の上。時期が時期だけに、あまり人が寄り付くことはなく、この橋自体、滅多に人の来ない場所にある。つまるところ、僕の存在以外何もない。あるのはせいぜい橋のかなり下を流れる激しい水音と時折聴こえる鳥の声。
ならば、結局僕の言葉は誰にも届くはずはない。
寂しいこの場所は、一部で自殺の名所として知られている。僕は、こんなにも穏やかなところで死ぬ気になれるものかと思っていたが、よくよく考えれば、こんな寂しさの中、しかも落ち込んでいれば身を投げ出したくなるのも仕方ないのかもしれない。
かと言って僕は別に死にたいわけじゃない。
ただなんとなく生きる気力もないような、そんな気分になったから、橋の下を覗き込んでいけそうならいってみようなどと、くだらないことを考えてしまっただけだ。
今の僕の状態を表すのに相応しい言葉はなんだろうか。鬱、無気力、倦怠、疲労、自殺志願、絶望、どれもしっくりとはこない。やはり、なんとなくつまらないと感じているだけなのかもしれない。
じゃあ何がつまらないのかと問われても、別に、と答えるしかない。
相変わらず橋の下は激流で、周りには鳥の声が響いている。
ポケットからコンビニで買ったフルーツのど飴を口に放り込み、欄干にもたれかかる。口の中にはのど飴特有のスーッとする感覚と、色々身体に悪そうなフルーツの風味が広がる。
「つまらないな」
本当にどうしたらいいのか分からないくらいに、僕はこの言葉ばかりを呟いている。
毎日こんな感覚で、大学での勉強も捗らない。高校時代、いつどこで使うのか分からない勉強を、将来のためにと努力するものもいるけど、僕には真似できなかった。せいぜい、偏差値で判断した適当な大学にいくのだろうと考え、事実そうなっているのだから。そして今は、バイトもサークルも人付き合いも、とりあえずという感覚でこなしている。
そう考えると自分のやっていることは無意味に感じてきた。誰も彼もがやる気や目標があるわけではないのだろうけど、それでも僕よりは何かしらの意志というやつはあるのだろうし、別の何かで活躍するのかもしれない。
今までを振り返って、自分には何があるのだろうかと考える。学力、功績、財産、友情、恋人、どれもまともに手にしたこともなければ望んだこともない。
このまま僕が生きていたところで、何か残るものはあるのかと考えると、やはり何もないような気がする。
「つまらないな」
結局はそこに行き着いて、このまま激流に身を任せてみようかと思い、ぼうっと渓流を見下ろす。
がりっと、口の中ののど飴を噛み砕き咀嚼ともいえない行為に浸る。
すると、突然
「なあに、貴方も死ぬの?」
甘ったるい砂糖菓子のような、そんな比喩が似つかわしい声が聴こえた。どうやら声の主は僕の右隣にいるようで、僕よりも背が低いみたいだ。
「それとももう死んだのかしら?そうよね貴方まるで、死体みたいだもの」
死体か、なるほど。これほど自分の表現としてしっくりくるものはないように感じた。
生きる気力もやる気もない、だけど死のうとはしない。生きているのに生きていない、死んではいないだけ。であれば、確かに僕は死体なのだろう。この橋の下に落ちていった人たちの成れの果て、いや、それすらにも劣るモノ。
なんて、比喩的で詩的な言葉に酔ってみても、隣にいる誰かの相手をする気になれないことに変わりはない。やはり僕はつまらないとしか思えないみたいなのだから。
「君は何?」
声のするほうを向くと、そこにはやはり想像したような小さな女の子がいた。小学校高学年くらいの体躯で、不思議な子だった。その顔には笑顔が張り付いている。
「何かしら?そういう貴方は自分が何かと問われてどう返すの?」
答えてくれるとは思っていなかったけど、こんなはぐらかしが返ってくるとは思ってもみなかった。とは言え、それほど彼女の正体には興味がないので構わないのだけれど。
僕は彼女に向けた顔を戻し、遠くを見つめることにした。別にこれといって見るものはない。ただ、なんとなく彼女から目を逸らしたくなったのだ。
「たまにいるのよ、貴方みたいな人が」
ぽつりと、染み渡るような声で彼女が語りだした。
「でもやっぱり多いのは落ちていく人よ。それでも、有名になるのは構わないわ」
僕に聞く気はないけど、そんなことにはお構いなしに喋り続ける少女。言ってることの意味はさっぱりだが、僕に告げているのだということだけは分かった。
「それに、人がたくさん来るのも嬉しいの」
人が、そう言った彼女はまるで自分が別の何かであるような言い回しで、それも仕方ないのかと納得させるだけの何かがあったような気がする。
「でも、忘れ去られて人の心に何も残らないのは嫌よ」
「何も……残らない?」
何が琴線に触れたのか、僕は問い返していた。答えなど期待していないけど、それでも問わずにはいられなかった。
「そうよ、忘れられてしまってはなあんにも残らないの」
心底嫌そうな彼女。悲しみに満ちた笑顔が僕の中に広がって、僕は迷子になった子どもの頃みたいな絶望感と悲しみに包まれた。
「そんなの嫌よ。だけど貴方はどうかしら?」
その問いかけの意味は分からない。分からないけど、彼女の方を凝視して、その奥、橋の先を見つめる。確かこの先は山奥で、進んでいけば何か祠のようなものがあったはずだ。
「進むのかしら?戻るのかしら?」
「僕は……」
僕は無性に怖くなって走り出した。彼女のいた方向とは反対、町の方へと。
息を切らせて走る僕の中には未だに彼女の
『なあんにも残らないの』
という言葉が響いていて、どうしようもないほど苦しくなっていった。だから僕は、それから逃げるように走った。
嫌だった。僕は嫌だったんだと、その不思議と慣れ親しんだ感覚が怖くて、ただただ走り続けた。
END