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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(4・完結編)

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1. 灰色の空


 一月もない短い夏はあっという間に過ぎて、上着を着ないで歩くには肌寒い季節が直ぐにやってきた。ひとつ風が吹けば茶色い葉が舞い散って、パリパリと乾いた音を立てる。雨が降ればその音はぺしゃぺしゃと水気を含み、靴にも染み渡る。上着の袖の隙間から入り込む冷たさに震え、雨の間の移動は諦めた。
 家を出てからもう二十日近く。季節はすっかり過ぎ去って、蝉の声はとうに消えた。緑色だった世界はすっかり茶色に染まって、直ぐにすべてが真っ白に染まる季節が訪れるのだろう。
 じーちゃんたちは、今どのあたりにいるのだろう。物凄く順調に行っていればもう既に国境を越えて、のんびりと生活を立て直し始めている頃かもしれないし、普通に順調ならあと数日というところか。いずれにしても、もう十分距離は取った。現在の僕らの位置を考えれば、たとえ今日連中がやってきて仮に僕らがやられてしまったとしても、じーちゃんたちに追いつくことは難しいだろう。
 だから僕らがこの道を急いでも、なにひとつ問題はない。むしろ、現状を考えると急ぐべきなのかもしれない。それぐらい、戦況は悪化していた。フィズが、ずっと帽子を目深にかぶっていなければいけないぐらいには。
 僕らがあの街を出た時はまだ開戦の直前で、戦争が始まるらしい、程度の情報しか回っていなかった。時々フィズの柘榴石の赤い瞳に気付いて、あからさまに嫌な顔をする人もいたけれど、その程度だった。
 けれど、一度坂道を転がり始めた石が瞬く間に追いつけない速さになるように、戦況はあっという間に悪化した。少しずつ、行く先々で遺体のない葬式に出くわす回数が増えてきた。家族の無事を案じる人の姿も、それと同じだけ増えている。そうなってしまえば、特にあの街以外では圧倒的に少数派である、魔族の血を引くハイブリッドへの差別が強まるのに時間はかからなかった。いや、差別だけで済むのならどれだけましだろうか。少なくとも、今はフィズの血筋に気付かれるわけには絶対に行かなかった。
 勿論たとえ刃物で武装した住人に取り囲まれたところでフィズは無傷でその場からいとも簡単に逃げ出せるだろう。けれど、相手まで無傷で済むかはわからないし、なにより身体は間違いなく安全でも、精神までは無傷ではいられない。直接その悪意がフィズに向けられることは避けられている今でも、十分過ぎるほどに、フィズは傷つけられているのだから。
 時間が経てば経つほどに、人々の不安と悲しみは強まり、それに伴ってどんどん疑心暗鬼になる。終いには、少々そりの合わない隣人が、敵国の間諜に見えてくるくらいには。
 疑念は新しい疑念を呼んで、恨みつらみは巡り巡って別の誰かを傷つける。そんな見たくもない実例を、いくつも、いくつも横目で見ながら、僕らは此処まで歩いてきた。
「はー、疲れたー」
 フィズの声はいつも通り、緩い。けれど疲労が溜まっているのは本当で、宿に入るなりばたりとベッドに倒れこんだ。
「フィズ、布団濡れるから上着脱ぎなよ」
「面倒……」
「ほら、風邪引くよ」
 布団にしがみつこうとするのをずりずりと引きずって、上着を脱がせて壁に掛けた。雨が降り出したのが街の近くになってからで本当に良かった。この寒さで雨の中長時間歩いたら、間違いなく身体を壊してしまう。
「服にまで滲みてる。先にお風呂入ってきなよ。僕は後でで良いから」
 僕の上着のほうが水を弾くのか、幸い僕の服にまでは水は滲み込んでいない。上着だけ脱いでフィズが上がるまでの間にストーブの用意をして、布団に包まっていれば風邪を引くことはないだろう。
 けれど、フィズは不満そうに、濡れた服の上から布団を被ろうとする。
「えー……」
「……フィズ」
 ふざけてると本当に風邪を引くよ。そう、言おうとして。
「あんた先に入りなさいよ」
 その少しだけにやけた表情に、なんとなく、言わんとしたことがわかって。
「……まったくもう」
 その先を言われて聞かなかった事にする前にそう口にした。
 しょうもないやりとり。小さい頃からずっと同じ家にいて、当然同じ風呂場を共有して、今更何を言う。だから、これは確実に冗談。要するに、「私の入った直後に入るわけ?」ということだ。
 これに、「じゃあ僕の入った直後に入る?」と返せば、勿論「なにか問題あったっけ?」と、にやにやしながら返事があるわけで。返答が予測できないパターンとしては「じゃあ一緒に入る?」というのを思いついたのだけれど、あまりにその後の展開が予測できなさ過ぎて若干恐ろしいので、今のところそう返したことはない。
「本当に風邪引くだろ。入ってる間にお茶淹れとくから、温まってきなよ」
「わかったわかった。大丈夫よ、そんなに心配しなくたって」
 今度はにやにやじゃない、本当に少しだけ苦笑いをして。
 背を向けたフィズが小さく「からかい甲斐がないなぁ」と呟いたのを、聞かなかったことにしようかしないか、少しだけ迷った。僕も、からかうつもりなのがわかっているのだから、乗ってあげれば良かったかもしれない。情けなかった。フィズがそんな強引なからかい方をしてでもこの空気をなんとかしないと耐えられなかったのと同じように、僕も今、余裕をなくしている。
 今日は、三つの葬列と出会った。
 ひとつめの葬列は、戦死。
 ふたつめの葬列は、自殺。
 みっつめの葬列は、集団暴行。
 必死で心に留めないようにして、気付かないようにして。だけどそのすべてが、この馬鹿げた戦争がなければ、なかったはずの悲しい行列。
 ついこの間までこの国の軍は志願制だったらしいのだけれど、今度こそ決着をつけようという方針を打ち出した国は徴兵令を出したらしい。戦い方の訓練もなにも受けていないただの若者が、持ち慣れない銃を持たされて、矢面に立たされる。ずっと訓練を受けてきたはずの軍属たちは、司令官という名目で、安全な場所に居座って。
 こんなにも簡単に、誰かのかけがえのない日常はあっさりと破壊されていく。そこに悲しみと怨嗟だけを残して。誰が望んでいるんだろうと思うけれども、多分答えは出ないのだろう。
 その誰かは、戦争によって得られる何かを望んでいるのだろうか。それとも、戦争それ自体を望んでいるのだろうか。その人には、壊されたくない大切なものは、あるんだろうか。そんな、考えても考えてもわかるはずのない問いを、僕は頭の中でぐるぐると弄ぶ。
 考えても、その相手に聞いてみることができない以上答えが出るはずもない疑問。それを考えることに少し飽いて、今度は少しは生産的な考えを巡らせた。