Another Tommorow
Chapter 6. ブラックアウト
ぺにゃり、という嫌過ぎる感触で目を開けると、頭上で大和がにやりと笑っていた。のを認識するのと、間抜けな悲鳴を上げて飛び起きるのとはどちらが早かったか。
とにかくも、それなりに最悪でその割に爽快な目覚めだった。
「目覚ましで起きれなかったら、どんな手を使ってでも起こせって言っただろ」
「食べ物を粗末にしろとは一言も言ってない」
二十二日から、飛鳥は看護実習に復帰することになった。まだ身体は痛むし、そう連絡したら担当の先生からもまだ休んでいても良いと言われたのだけれど、大丈夫、戻れると言って押し切った。
「今日の夕飯は蒟蒻のピリ辛炒めだからな」
自分を起こすのに使われた凶器を洗って水を張ったタッパーに入れて、冷蔵庫に戻す。何度やられても、これだけは苦手だ。ついでに冷蔵庫の中身を確認する。少し葉ものの野菜が欲しいところだから今日の帰りに買うことにする。大和に買ってきてもらった肉はまだある。
昨日のうちに下ごしらえをしておいた豚肉をしょうが焼きにして、もうひとつのコンロでは少し多めに卵焼きを作った。しょうが焼きの後のフライパンで玉葱を炒めてつけあわせとする。緑ものが足りない気がしたので、少しだけ残っていたほうれん草をさっと茹でた。ご飯に梅ふりかけをよく混ぜると、うっすらと赤く染まって弁当箱に詰め込んだときの色合いが大分よくなる。それにレンジで作った蒸し野菜をごろごろと飾った。今日は実習で外に食べに行く暇はなさそうなので、自分のも同じように作る。大和との違いはご飯の量だ。
弁当の中身とほぼ同じ朝食を作り、味噌汁を仕上げると、飛鳥は父に一声かけて食卓についた。
いつもと同じ、朝の風景。
朝食を終えて片付けて、しんと冷え切った朝の空気の中を歩いて杉宮南駅へと向かう。いつもと同じ。
「……サボんなくていいの?」
駅までの道程を半分ほど過ぎたところで、大和がふとそんなことを口にした。飛鳥は目を丸くする。
「どうしたんだ。生真面目に定評のある副会長様がサボりの勧めなんて。具合でも悪いのか?」
弟を見る目を看護師としてのそれに切り替えて、大和の頭から足までをぱっと目をやった。右手の手袋を外し、額に触れる。熱はない。
「俺は平気だって。兄さん、まだ身体痛いだろ。それに学校行ってる時間、予知を変えるのに充てなくていいのか?」
「ああ」
そのことか。飛鳥は少しだけ笑って答える。
「いいんだ。どうせ俺の頭じゃひとりで考えてもこれ以上先に進まない。それだったらいつも通りにしてたいんだ。普通の講義だったらサボりたいかもしれないけど、実習だし」
「でも」
「それに、あの予知を変えたらそれでおしまい、めでたしめでたしハッピーエンド、じゃないだろ?」
飛鳥は兄の笑みで、にぃと笑った。
「この先もまだ暫く、俺は生きていくつもりだよ。だから、今やらなかったことは結局その後に回ってくる。勿論生き延びるのが最優先だけど、留年もしたくない」
まだ納得していない様子の弟に、飛鳥は真っ直ぐに視線を向けて、言った。
「死ぬつもりがないから、ちゃんと学校に行くんだよ。直ぐに死ぬんじゃないんだったら、やらなきゃならないことがあるって言ったのはお前じゃん?」
死ぬつもりなんかない。生きられる自信はあった。まだ、予知は変わっていなかったけれど。
だから、自然と笑みが零れた。本来飛鳥は相当に楽天的な性格だ。大和が昨晩飛鳥に言った、「性格が才能」という言葉は、元々超がつく楽天家だった母が、良く言われていた言葉だった。
「……やっぱり兄さん、お母さんに似てるかも」
「ありがと、それ凄い誉め言葉」
飛鳥はそう言って笑った。笑うと母にそっくりだと、子供の頃に祖母が言っていたのを、飛鳥はふと思い出した。
『六時半に、梅山駅で』と、大和にメールを送ると、直ぐに『了解』と短い返信があった。それから一分程間があって、もう一度PHSが着信を知らせる。『大学まで迎えに行こうか?』
「過保護だなー」
飛鳥は小さく呟いて『大丈夫、駅で待ってて』と返した。
「飛鳥、携帯見ながらにやけてるよ、気持ち悪い」
おっとりした口調でにこにこと笑顔を浮かべながら、佐藤がこちらへ向かってきた。手には売店で買ったと思われる惣菜パンと苺牛乳の紙パックが握られていた。「彼女?」
「いや、弟」
「え、マジで。俺ホントにデートの約束かなんかかと思ったのに」
振り返ると、村田が後ろから画面を覗き込んでいた。その表情は、心底から引きつっている。
「……あ、まあそうだよな。お前まだ病み上がりだもんな。うん、そうだよな」
「は?」
「村さん?その死んだ魚みたいな目で何を見たの?」
いちいち毒がたっぷり滲んだ棘を突き刺しながら佐藤は喋る。元々口が極端に悪いが、特に村田に対しては口が悪いを通り越してできる限りの悪意を言葉に込めている、気がする。
「いや、飛鳥の弟からのメールが『大学まで迎えに行こうか?』で、こいつの返事が『大丈夫、駅で待ってて』」
「うわあ、過保護。……正直仲良すぎて不気味」
「あの真面目系イケメンの弟くんかぁ」
植村が言って、ニヤニヤと猫のように笑う。「弟君のほうがしっかりしてるみたいだねえ」
気に入られているのか。この瞬間、できるだけ植村と大和を会わせないようにしようと飛鳥は決意した。植村は少なくとも容姿だけは一級品だ。幼げで挑戦的な顔立ちと小柄な身長に似合わぬダイナマイトボディで、渋谷あたりをちょいと歩けばアダルトビデオやエログラビアのスカウトたちをわらわらとなんとかホイホイに寄り集まる黒い昆虫のごとく呼び寄せる、とにかく男好きのする雰囲気の持ち主ではある。その上大和から見れば4つ年上と来ている。年齢以外の女子の好みを聞いたことはないけれど、気に入る可能性はなくもない。だけどうっかりこの二人が付き合ったり、ましてや万が一結婚なんかされては困る。こんなサディスティックかつデンジャラスな義妹がいては、家庭から平穏という言葉の意味が失われることは間違いないだろう。植村と佐藤だけは間違っても親族にはなりたくない。植村も佐藤も相当に面白い人間で、同期の仲でも仲が良いほうには違いないけれど、彼女たちとの最も適切な距離は多分今ぐらいだ。こういう女子とこれ以上近い距離で生きるのは、彼女たちにどれだけひどい扱いを受けてもむしろそれを喜びに変えられるような人間じゃないと無理だろう。
(例えば、村田とかね)
飛鳥は本気のため息をついた。見ていればわかる。村田が、学年で1、2を争うサディスティックな女子ふたりと、好き好んで一緒にいることぐらい。
「まだ本調子じゃないから、荷物持ってもらうだけだよ。別に普段はばらばらに帰ってるし」
まだ身体が少し痛いし、明日の分の買い物を持ってもらいたい。それになにより、今は一人でいる時間が惜しかった。とにかく誰か、自分以外の誰かと話していたい。少しでも、未来の糸口を掴むために。
「弟さん彼女とかいるの?」
「仮にいなかったとしてもお前らには紹介しない」
「なぁんだ、残念」
作品名:Another Tommorow 作家名:なつきすい