天秦甘栗 用意周到1
「嫁さんの結婚式は終わったのか。」
「うーん、たぶん……」
「“たぶん”て何だ? 」
「いや、詳しい話を聞かなかったんで、確か今日の夕方にはオーストラリアに飛んだはずなんだけど…」
2人はそう言って、居酒屋で並んで飲んでいる。カウンターに座っているのは、そういう狭い店だからである。ここの「おでん」はたいそうおいしく、秦海のひいき筋である。
「行かなかったのか。」
「めんどーで、今の旦那さんからも再三再四、出席するよーに言われたけど、わざわざ本妻の結婚式に出るのもねえ。」
「そういうと嫉妬しているように聞こえるが?」
秦海のなにげない言葉に、天宮は顔色を変えて相手をにらみつけた。
「嫉妬するんなら今頃、嫁をさらいに行ってる! あれはあれでうまく行くんだから大丈夫なんだよ。えっ、シンちゃん! 私には、あの嫁とうまくいくことは出来ないんだから。」
ハーッと、天宮は溜め息をついて、杯の冷酒をあおった。本当に心底、本妻さんが嫁いでくれて安堵しているというのに、秦海のいらぬ一言にムカッと来た天宮である
天宮には今まで、本妻さんとお妾さんが1人ずついた。その本妻さんが、このたびめでたく結婚したのである。
「別に嫁とは呼びならわしているけど、本来の意味は違うと教えなかったかな?」
「分かってる、本妻は意思疎通を言葉なしに出来る友人だったな。10のことを言うのに0・5で済むとかいうー」
分かってんじゃんか、と天宮は秦海の杯に冷酒をついでやる。天宮は一応、女性である。(一応っていうのも失礼だが…)しかし、どういう訳か夫婦のように分かり合った友人がいた。あまりにノリが夫婦なので「嫁」と「ムコ殿」と呼んでいたのである。会話は「おい」とか「あれ」でこと足りていたし、何も言わなくても困らないし、お互いがお互いの行動パターンを、きっちり押さえていた。もはや、空気の存在だったのである。しかし2人は同性であったし、ついでを言うなら同居は不可能に近かった。なぜなら、お互いの行動パターンも同一なので、一人でいるのと何ら変わらぬのである。
天宮とその妻が、2人そろって言うことには、「きっと、お互い出来ないことも一緒だから、そこで破局するだろう。」 だった。つまり、住んでも、その行動パターンまで読めてしまうのだから、将来どういうことでケンカになるかも分かるのである。そんな相手とは、到底暮らせない。
という訳で、天宮とその嫁は別居していたのだが、天宮は1人で暮らしていなかった。洗濯や掃除など、家事一切が嫌いなので、友人をルームメイト兼おさんどんさんにしていたのである。こちらが仲間内でいう、「天宮のお妾さん」 である。単なるルームメイトなのだが「嫁」のいる天宮が別に囲っているということにされてしまい、そんな愛称がついている。呼ばれている当人は気にもしていないので、怒りもしないでいると、そのまま定着してしまったわけである。
「あー、でも本当によかった。あれが1人で一生暮らすなんて言い出したら、嫁の実家から本当に婿入りするように言われるとこだった。」
「それでもいいんじゃないか、天宮。」
「よかぁーない! 家のドア開けて3秒で浮気のバレる嫁と一緒になりたいかい? 秦海さんよ。」
そこで秦海は、ウッとつまった。それは願い下げである。それでは何の楽しみもない。
「それじゃ、お妾さんは大丈夫なのか。」
「大丈夫も何も、そんなこと全然気にしてないんじゃないかな。毎週帰って、買い出しに付き合えば、それでOKだと思う。」
お妾さんは都心を嫌い、天宮の仮住居から車で片道2時間の山の中に住んでいる。仕事が着物を縫うというものなので、場所などに問題もなく、彼女の望みだった晴耕雨読な生活にひたっている。ただし週末に天宮が戻って来ると、買い出しに行くのだけは約束である。車の免許のない彼女(持ってるけどペーパードライバー)は、そうしないとひからびて死んでしまう。
「たまには、のんびりしに来たら?」
「遠すぎる……、俺はおまえほどドライブが好きじゃない。」
秦海は、そう天宮に言うが、実は平日にお妾さんのいる田舎の家に行ったことがある。それもごく最近、ある相談で行ったのだ。お妾さんは、秦海の相談事に親身になってのってくれた。そして、秦海の考えを快く承知して、いくつかの助言を与えてくれたのだ。そして彼女が月に一度の天宮の部屋の掃除で上京するというので、一緒に都心に戻って来た。
「秦海さんは、どうして天宮がそんなにいいの? 他にも引く手あまたなはずでしょう。」
高速を飛ばしている最中に、天宮のお妾さんこと深町恵理は、不思議そうに秦海の顔を見た。財界の大立物、秦海大悟を父に持つ秦海なら、どんな女性も望みのままである。それが何を狂ったか、一介の公務員で大学の同期である天宮を嫁にしたいのかが分からない。秦海は深町の問いかけに、一瞬考えてからこう言った。
「確かに、どんな女も望みのままなんだろう…、学生の頃から天宮が一番気が合った。冷静で高飛車な女なんだが、実は抜けている呑気ものというのが、いいのかもしれない。そういうのは、なかなかいないんでね。」
彼の周りの女性は、そういう意味では天宮よりも数倍上品で、賢く、よく気の付く人たちだろうが、秦海は、そういう女性はうんざりしている。幾人も付き合ってはみたのだが、天宮ほどの呑気ものはいなかったのである。
「そりゃ普通は、相手に良く見えるようにかっこつけるから……」
「いやー、何ていうか、まあ、ハハハ…」
惚れた弱みである。ずっと秦海は天宮を見てきたのだ。今更どんな女性でも満足できない(げろげろー)。蓼で食う虫も好き好きとは、まさに彼のことを指している言葉だと、深町は深く深く納得した。
「もう少し話を煮詰めたいんだが、うちに来てもらえないだろうか? 深町さん。」
照れ隠しに、秦海は話をすりかえた。そんな秦海に深町は、笑いながらうなずいた。それから二人はなんだかんだと天宮のよもやま話に花を咲かせて都心に戻って来た。
秦海の家はとても大きい。閑静な住宅地で、ひときわ大きな屋敷である。ほえーと驚きの声をあげながら、深町は門をくぐった。玄関まではまだ遠い。家の中もまた豪華で、居間まで長い廊下をずっと歩く。とんでもない奴だと深町は、あんぐり口を開けた。
「いいとこのお坊ちゃんだよ。」 と、いう天宮の説明は受けていたが、スケールが違う。庭の池だって普通の池ぐらいはあるのだ。
「ここへどうぞ。」
秦海が招き入れたのは、その池のよく見える一室であった。そこで、2人が額を付き合わせるかっこうで、ボソボソと密談をしていた。
「天宮は、日常は脳がだれてるから狙い目はその辺かな。」
「じゃ、いきなり婚姻届を?」
「そうそう、それで『嫌なところは全部言え』と言えば、たぶんぐうの音も出ないと思うけどなあ。」
「ふむふむ、なるほど……」
そこへ、外からいきなり人が入って来た。秦海の父、秦海大悟その人である。
「渉、新しい彼女でも出来たのか。」
悪い冗談だと、秦海が苦い笑いを作った。そのまま父親は、秦海の横に陣取ろうとして、息子に止められた。
「今、大切な話をしている。悪いが親父は出て行ってくれ。」
「うーん、たぶん……」
「“たぶん”て何だ? 」
「いや、詳しい話を聞かなかったんで、確か今日の夕方にはオーストラリアに飛んだはずなんだけど…」
2人はそう言って、居酒屋で並んで飲んでいる。カウンターに座っているのは、そういう狭い店だからである。ここの「おでん」はたいそうおいしく、秦海のひいき筋である。
「行かなかったのか。」
「めんどーで、今の旦那さんからも再三再四、出席するよーに言われたけど、わざわざ本妻の結婚式に出るのもねえ。」
「そういうと嫉妬しているように聞こえるが?」
秦海のなにげない言葉に、天宮は顔色を変えて相手をにらみつけた。
「嫉妬するんなら今頃、嫁をさらいに行ってる! あれはあれでうまく行くんだから大丈夫なんだよ。えっ、シンちゃん! 私には、あの嫁とうまくいくことは出来ないんだから。」
ハーッと、天宮は溜め息をついて、杯の冷酒をあおった。本当に心底、本妻さんが嫁いでくれて安堵しているというのに、秦海のいらぬ一言にムカッと来た天宮である
天宮には今まで、本妻さんとお妾さんが1人ずついた。その本妻さんが、このたびめでたく結婚したのである。
「別に嫁とは呼びならわしているけど、本来の意味は違うと教えなかったかな?」
「分かってる、本妻は意思疎通を言葉なしに出来る友人だったな。10のことを言うのに0・5で済むとかいうー」
分かってんじゃんか、と天宮は秦海の杯に冷酒をついでやる。天宮は一応、女性である。(一応っていうのも失礼だが…)しかし、どういう訳か夫婦のように分かり合った友人がいた。あまりにノリが夫婦なので「嫁」と「ムコ殿」と呼んでいたのである。会話は「おい」とか「あれ」でこと足りていたし、何も言わなくても困らないし、お互いがお互いの行動パターンを、きっちり押さえていた。もはや、空気の存在だったのである。しかし2人は同性であったし、ついでを言うなら同居は不可能に近かった。なぜなら、お互いの行動パターンも同一なので、一人でいるのと何ら変わらぬのである。
天宮とその妻が、2人そろって言うことには、「きっと、お互い出来ないことも一緒だから、そこで破局するだろう。」 だった。つまり、住んでも、その行動パターンまで読めてしまうのだから、将来どういうことでケンカになるかも分かるのである。そんな相手とは、到底暮らせない。
という訳で、天宮とその嫁は別居していたのだが、天宮は1人で暮らしていなかった。洗濯や掃除など、家事一切が嫌いなので、友人をルームメイト兼おさんどんさんにしていたのである。こちらが仲間内でいう、「天宮のお妾さん」 である。単なるルームメイトなのだが「嫁」のいる天宮が別に囲っているということにされてしまい、そんな愛称がついている。呼ばれている当人は気にもしていないので、怒りもしないでいると、そのまま定着してしまったわけである。
「あー、でも本当によかった。あれが1人で一生暮らすなんて言い出したら、嫁の実家から本当に婿入りするように言われるとこだった。」
「それでもいいんじゃないか、天宮。」
「よかぁーない! 家のドア開けて3秒で浮気のバレる嫁と一緒になりたいかい? 秦海さんよ。」
そこで秦海は、ウッとつまった。それは願い下げである。それでは何の楽しみもない。
「それじゃ、お妾さんは大丈夫なのか。」
「大丈夫も何も、そんなこと全然気にしてないんじゃないかな。毎週帰って、買い出しに付き合えば、それでOKだと思う。」
お妾さんは都心を嫌い、天宮の仮住居から車で片道2時間の山の中に住んでいる。仕事が着物を縫うというものなので、場所などに問題もなく、彼女の望みだった晴耕雨読な生活にひたっている。ただし週末に天宮が戻って来ると、買い出しに行くのだけは約束である。車の免許のない彼女(持ってるけどペーパードライバー)は、そうしないとひからびて死んでしまう。
「たまには、のんびりしに来たら?」
「遠すぎる……、俺はおまえほどドライブが好きじゃない。」
秦海は、そう天宮に言うが、実は平日にお妾さんのいる田舎の家に行ったことがある。それもごく最近、ある相談で行ったのだ。お妾さんは、秦海の相談事に親身になってのってくれた。そして、秦海の考えを快く承知して、いくつかの助言を与えてくれたのだ。そして彼女が月に一度の天宮の部屋の掃除で上京するというので、一緒に都心に戻って来た。
「秦海さんは、どうして天宮がそんなにいいの? 他にも引く手あまたなはずでしょう。」
高速を飛ばしている最中に、天宮のお妾さんこと深町恵理は、不思議そうに秦海の顔を見た。財界の大立物、秦海大悟を父に持つ秦海なら、どんな女性も望みのままである。それが何を狂ったか、一介の公務員で大学の同期である天宮を嫁にしたいのかが分からない。秦海は深町の問いかけに、一瞬考えてからこう言った。
「確かに、どんな女も望みのままなんだろう…、学生の頃から天宮が一番気が合った。冷静で高飛車な女なんだが、実は抜けている呑気ものというのが、いいのかもしれない。そういうのは、なかなかいないんでね。」
彼の周りの女性は、そういう意味では天宮よりも数倍上品で、賢く、よく気の付く人たちだろうが、秦海は、そういう女性はうんざりしている。幾人も付き合ってはみたのだが、天宮ほどの呑気ものはいなかったのである。
「そりゃ普通は、相手に良く見えるようにかっこつけるから……」
「いやー、何ていうか、まあ、ハハハ…」
惚れた弱みである。ずっと秦海は天宮を見てきたのだ。今更どんな女性でも満足できない(げろげろー)。蓼で食う虫も好き好きとは、まさに彼のことを指している言葉だと、深町は深く深く納得した。
「もう少し話を煮詰めたいんだが、うちに来てもらえないだろうか? 深町さん。」
照れ隠しに、秦海は話をすりかえた。そんな秦海に深町は、笑いながらうなずいた。それから二人はなんだかんだと天宮のよもやま話に花を咲かせて都心に戻って来た。
秦海の家はとても大きい。閑静な住宅地で、ひときわ大きな屋敷である。ほえーと驚きの声をあげながら、深町は門をくぐった。玄関まではまだ遠い。家の中もまた豪華で、居間まで長い廊下をずっと歩く。とんでもない奴だと深町は、あんぐり口を開けた。
「いいとこのお坊ちゃんだよ。」 と、いう天宮の説明は受けていたが、スケールが違う。庭の池だって普通の池ぐらいはあるのだ。
「ここへどうぞ。」
秦海が招き入れたのは、その池のよく見える一室であった。そこで、2人が額を付き合わせるかっこうで、ボソボソと密談をしていた。
「天宮は、日常は脳がだれてるから狙い目はその辺かな。」
「じゃ、いきなり婚姻届を?」
「そうそう、それで『嫌なところは全部言え』と言えば、たぶんぐうの音も出ないと思うけどなあ。」
「ふむふむ、なるほど……」
そこへ、外からいきなり人が入って来た。秦海の父、秦海大悟その人である。
「渉、新しい彼女でも出来たのか。」
悪い冗談だと、秦海が苦い笑いを作った。そのまま父親は、秦海の横に陣取ろうとして、息子に止められた。
「今、大切な話をしている。悪いが親父は出て行ってくれ。」
作品名:天秦甘栗 用意周到1 作家名:篠義