時間の狭間
(ふぅ。すごく疲れた………)
自分のロッカーにおでこをつけてため息をつく。
私の仕事場は休憩時間がすごく短い。
あぁ、このまま時間が止まってしまえばいいのにな………。
そんなことを考えてはかすかに笑った。
時間が止まるなんてあり得ない。
腕時計を見ると、12時58分。
休憩終了まであと2分。
あぁ、やっぱり時間が止まってほしい………。
その時、ぐにゃりと世界が歪んだ。
透き通るような綺麗な声が聞こえてきて、気付いたときには知らない世界にいる。
輝くばかりの世界に、ぽつんと浮かぶ二つの影。
目の前に、美しい少年がいた。
流れるような金髪、晴れた空より綺麗なスカイブルーの瞳。
すぐに心奪われた。
彼の後ろには、漆黒の闇をまとった一人の執事。
すべてが黒。服も髪も瞳も、雰囲気さえも………。
目の前の少年が言った。
「やぁ。時間の狭間へようこそ。」
「時間の狭間………?」
彼の言葉を反芻すると、口角が上がる。
「そう、ここは時間の狭間の世界。12時58分の世界であり、58分01秒と58分02秒の間の世界。
つまり、永遠に時間の間をとり続ける世界。
まぁ、どこかの時間の間をとり続ける世界だから、この世界には時間なんて存在しない。」
ニヤリと少年は笑った。私は絶句する。
時間の流れない世界。時間の止まった世界。
それはまさに、私の望んでいた世界だった。
「君はどうやら、この世界に迷い込んでしまったみたいだね。
でもせっかく来たんだ。お茶でも飲んでいかない?」
綺麗な顔がグイっと近づけられたかと思うと遠ざかる。
少年が執事に目配せすれば、執事の姿が消えた。
そしてすぐ、ティーセットを持って現れる。
紅茶のいい香りが話し刺激した。
目の前には、いつのまにやら現れたイスとテーブル。
テーブルの上には可愛らしい焼き菓子がいくつか………。
そして、笑顔で手招きをする少年。
私は何のためらいもなくイスに座った。
紅茶に口をつけると、ほどよい甘みの紅茶が口の中に広がった。
「………おいしい。」
「彼のいれる紅茶は最高だよ。さあ、お菓子もどうぞ。遠慮しないで。
あ、せっかくだし、何か君の話を聞かせてよ。長いことここに人が来る現象なんて起きなかったからね。
僕も退屈してたしさ………。」
焼き菓子が差し出される。
私はそれを食べながら、少しずつ話を始めた。
自分のこと、仕事のこと。そして、今まで体験したこと。
初めは戸惑いながら話していたけど、そのうち戸惑いもなくなっていく。
楽しかった。本当に………。
話を終えたとき、少年が一呼吸置いてから言った。
「君の話、面白かった。………ねえ、君さえよかったら、ずっとここにいてよ。
もっと君と話したいし、君と一緒にいたいんだ。」
その申し出に私は迷う。
ここでは時間が流れない。忙しい時間はやってこないし、ゆっくりできる。
それはとても魅力的だった。
でも、時間が流れないということは………私の明日はやってこない。
未来さえも訪れない………。
永遠に時間に取り残される存在となる………。
私は首を振ってイスから立ち上がった。
「私、時間が止まった世界は好きよ。でもね、私は未来を見つめていたい。ごめんなさい。」
お辞儀をして、振り返らずに歩き出す。
どこをどう歩けばいいのかも分からないのに………。
背中のほうで「残念」と聞こえた瞬間、私はいつものロッカールームにいた。
慌てて腕時計を見ると、12時58分。
時計の秒針は、静かに動いていた………。
「………ジュノン様、彼女を帰してよろしかったのですか?
ジュノン様は、彼女が欲しくて仕方なかったのでは?そのために、ここに呼んだのでしょう?」
漆黒の執事が、美しい少年へと尋ねる。
ジュノンと呼ばれた少年は、不敵な笑いを浮かべ執事を見た。
「うん、僕は彼女が欲しくてたまらない。あの、穢れなき魂。本当に綺麗だ。
けど、今回はこれでいいんだ。彼女はまた、きっとここへ来るよ。
未来を見つめていたいといった彼女自身が、未来に絶望した時に………ね。
その時僕は彼女を手に入れる。」
スカイブルーの瞳がやわらいだ。
「そうですか………」と執事が言ったあと、今度はジュノンが尋ねる。
「ねぇエリック。君は昔、彼女と同じように流れる時間の中で生きてた人間だけど、
君はまた、あの世界で生きたいと思った?」
彼の問いかけに執事はすぐに答えを出した。
「いいえ、ジュノン様。私は時間が流れるあの世界が嫌いです。
未来を見つめ生きるより、ここでジュノン様のお役に立てることのほうが私にはあっています。
ジュノン様、いつでも私はおそばにおります………。」
頭を下げた執事を見て、ジュノンは満足そうな顔をした。
そしてイスから立ち上がる。
「さあ、それじゃそろそろ行こうかエリック。
彼女を手に入れるため、彼女の未来を潰しに………ね。」
「はい、ジュノン様。」
時間の狭間の世界で、まばゆい光がジュノンを照らす。
光を受けて神の如く輝くジュノンであったが、床に落とされた黒い影には悪魔の翼が映っているのだった………。
時間の狭間