新撰組 加茂
「副長、お邪魔しても差しさわりはないかな?」
松本良順はそう言いながら、すでに障子に手をかけている。ガラリと開け去ると文机に向かった土方が静かに松本の方へ向き直った。広い額の下の涼しげな眼が松本を捕らえた。
「私は診察の必要はない、と申し上げた筈ですが何か御用ですかな。」
診察に来たのなら俺は受けねぇよ、を丁寧に言っただけのこと明らかに来訪者を邪魔者扱いしている。もともと土方はこの松本良順という男を信用していない。なぜならこの男、実は新選組を大いに批判し、それが御大将 近藤の耳に入り憤怒し斬り捨てにいった相手だからである。ただ、近藤は彼が刀の柄に手をかけても一向に動じないところが大層気に入ったらしく新選組の主治医にしてしまった。今日は隊士の健康診断にやって来ているのだ。いや、あんたなら病気のほうが逃げちまうだろうから心配はしないよ、彼はそんな土方の言葉をさらりと流すように受けて部屋の内へ入って障子を閉めた。
ある日の夕刻、土方と総司が揃って外へでかけた。最初、せっかくの非番なのに……とブツブツ言っていた総司であったが、土方の睨みに黙って後ろから追従することになった。冬から春への過渡期のせいか街は霞んでいるように見える。未だ肌寒い感じはするが太陽は春のものになりつつある。その太陽が沈みかけているので冷気が足元から序々に登って来るように京都の冬を感じさせていく。
「土方さん。ちょっと寄道してもいいですか?」
先を歩いていた土方に走り寄った総司はこう言った。確かこの辺りは総司の見回り管轄地域だったな、土方は少しくらいは構わんがどこへ行くのだ、と尋ねた。総司は先導し、ある路地を入って行きながら、いつも見回り中に寄ってみたいと思う店があるのだが、部下にひやかされそうで行けないのだ、と言った。ここで土方が想像したのは小間物屋であった。どこぞの娘にでもやりたい細工物のかんざしをみつけたのだろうくらいに思って後を追いて行った。しかし、着いたところは一軒の駄菓子屋であった。その縁に色とりどりの独楽が並べてあった。
「ああっ これこれ! いつも欲しいと思って・・・・」
子供のようにはしゃいでいる総司を横目に見て、まだガキのつもりでいるらしいと土方がニヤリと笑ってしまった。笑われているのを知らぬ当の本人は色とりどりの独楽があるのに同じ青色の独楽ばかり十ほしいと店の親父に頼んだ。だが、残念なことに八っつなかった。
「総司 早くしろ! たかが独楽のふたつやみっつで、こんなに時間取る奴があるか! 何ぃ? 同じ色がほしいだと?」
「はい、あす 子供達にやろうと思って。同じなら喧嘩にならなくていいでしょ。だから、とおもったんですが・・・」
「なら、逆に全部違う色にしてやれ! 子供同志、対抗心が出来ていいじゃねぇか。ほら、早くしねぇか。俺は人を待たしてあるんだよ。」
土方にせっつかれ早々に十個の独楽を買って総司はもうかなり前を行く土方の後を追った。
土方がやって来たのはある料亭であった。門を入ると総司が驚きの声を上げた。その料亭の庭には一面に梅が咲いて春を匂わせているのだ。紅梅と白梅が入り乱れ夕暮れの色に染められている。土方が早く、早く、と総司を急がせた意味がようやく理解出来た。彼はこれを陽が沈まぬうちに見せてやりたかったのである。
「土方さん。 これは・・・・・・」
「おう 見事だろう。総司、この料亭の御自慢の庭よ。たまにはこういう風流もいいもんじゃないか。」
「もしかして、土方俳句仙人のありがたい俳句が聴けるんですか。そのためにわざわざ私をひっぱって来たって言うんじゃないでしょうね。」
「ばかやろう! そんなんじゃねぇ。入るぞ! 」
一句ひねろうと考えていたのを見透かされて土方が体裁悪さに総司を怒鳴りつけた。図星だったと総司が大笑いをしながら、それでも一応は土方に謝りつつ後に続いて玄関へ入った。
離れに通されることになり長い廊下を奥へ奥へと進んで行く。庭園の梅は白梅は夕焼けの色に染まり、紅梅はより一層赤くまるで血の色のような見事な朱色になっている。総司はこの梅を横目にしながら土方の後を行く。いきなり、こんな所へ自分をお供にするようなことは、かつて一度もなかったことである。土方が料亭に行くときは必ずひとりであって、けっして試衛館の仲間であろうと連れだって行くことはない。いつも一人静かに酒を口にすることを好む男で静寂や孤独に安心を感じる人間なのだ。総司が考え込みながら歩いていて、ふと気付くと庭園はすっかり暮れて白と紅の梅は闇に溶け込んでしまうところだった。
「残念だな、"せっかくの 梅も闇には 負けにけり" というところだな。総司。」
土方の声に総司は我に返った。あやふやな相槌を打とうとして口を噤んだ。仲居が離れの障子を開けると、そこには松本良順が座していたからである。
「松本医師、遅くなりました。こいつがちょっと寄道をしたもんですから。」
「いや、俺も今来たところだ。沖田くんも一緒か、」
松本は目敏く土方の背後に隠れていた総司をみつけて、自分の横に来るように手招きした。一瞬、どう対処していいのか分からず土方を見るといつもの表情でいつもの口調で言葉を綴る。「先日 健康診断でお世話になったんで、御礼にと医師をここへお呼びしたんだが、俺は口下手でどうもいけねぇから、おまえを呼んだまでのことよ。」
「なぁんだ。それならそうと最初から教えてくれればいいのに、医師とお逢いするんなら一張羅を着てこなくっちゃ。」
眼前に松本を認めた瞬間に、もしや、自分の身体の異変を探し出されてしまったと思った総司は土方の言葉に安堵した。自分のことはどうやらだま騙しおおせたと思ったのである。
ほろ酔い気分の松本が玄関から出て来た。側には危なっかしい足取りの良順を助けようと総司が添い歩いている。土方はまだ中から出て来ない。か ご 加籠が料亭の入り口で待っているので良順は先に出て来たのである。
「沖田くん。今度はふたりで来ようや。どうも副長は無口でいけねぇな。堅苦しくて俺には向きじゃねぇよ。先に帰ぇるから『ごちになった。』と言っといてくれ。約束したぞ。きっと付き合え! 」
「はいはい 医師。きっと付き合いますよ。お気をつけて、」
土方が外へ出た時には、すでに良順の姿は無く、総司だけが待っていた。気の早い医師だ、独り言のように総司に言うとはなしに呟き、歩き出した。戌の刻を半刻程過ぎているこの時間には家々の扉は固く閉ざされて明りも見えない。ただ、うるさいほどの星が夜空には輝いている。そんな中をふたりが何も言わずに足音だけを響かせて歩いて行く。白い息が闇に広がり消えていく。このまま、自分の病気が局長や土方に発覚せず、斬り合いで苦しまずに逝ければ・・・・総司は空を仰ぎ見ながら考えていた、とそこへ『総司』と土方が呼び掛けられてギクリとしながら応えた。
「明日も晴れるようだ。おまえは非番だったな。」
「ええ、近所の子供達にこの独楽をやらないと・・・」
「・・・ったく。困った奴だ。ちったあ、色っぽい話のひとつやふたつ作ってみやがれ! 」
「でも、副長を差し置いては出来ませんからね。」
松本良順はそう言いながら、すでに障子に手をかけている。ガラリと開け去ると文机に向かった土方が静かに松本の方へ向き直った。広い額の下の涼しげな眼が松本を捕らえた。
「私は診察の必要はない、と申し上げた筈ですが何か御用ですかな。」
診察に来たのなら俺は受けねぇよ、を丁寧に言っただけのこと明らかに来訪者を邪魔者扱いしている。もともと土方はこの松本良順という男を信用していない。なぜならこの男、実は新選組を大いに批判し、それが御大将 近藤の耳に入り憤怒し斬り捨てにいった相手だからである。ただ、近藤は彼が刀の柄に手をかけても一向に動じないところが大層気に入ったらしく新選組の主治医にしてしまった。今日は隊士の健康診断にやって来ているのだ。いや、あんたなら病気のほうが逃げちまうだろうから心配はしないよ、彼はそんな土方の言葉をさらりと流すように受けて部屋の内へ入って障子を閉めた。
ある日の夕刻、土方と総司が揃って外へでかけた。最初、せっかくの非番なのに……とブツブツ言っていた総司であったが、土方の睨みに黙って後ろから追従することになった。冬から春への過渡期のせいか街は霞んでいるように見える。未だ肌寒い感じはするが太陽は春のものになりつつある。その太陽が沈みかけているので冷気が足元から序々に登って来るように京都の冬を感じさせていく。
「土方さん。ちょっと寄道してもいいですか?」
先を歩いていた土方に走り寄った総司はこう言った。確かこの辺りは総司の見回り管轄地域だったな、土方は少しくらいは構わんがどこへ行くのだ、と尋ねた。総司は先導し、ある路地を入って行きながら、いつも見回り中に寄ってみたいと思う店があるのだが、部下にひやかされそうで行けないのだ、と言った。ここで土方が想像したのは小間物屋であった。どこぞの娘にでもやりたい細工物のかんざしをみつけたのだろうくらいに思って後を追いて行った。しかし、着いたところは一軒の駄菓子屋であった。その縁に色とりどりの独楽が並べてあった。
「ああっ これこれ! いつも欲しいと思って・・・・」
子供のようにはしゃいでいる総司を横目に見て、まだガキのつもりでいるらしいと土方がニヤリと笑ってしまった。笑われているのを知らぬ当の本人は色とりどりの独楽があるのに同じ青色の独楽ばかり十ほしいと店の親父に頼んだ。だが、残念なことに八っつなかった。
「総司 早くしろ! たかが独楽のふたつやみっつで、こんなに時間取る奴があるか! 何ぃ? 同じ色がほしいだと?」
「はい、あす 子供達にやろうと思って。同じなら喧嘩にならなくていいでしょ。だから、とおもったんですが・・・」
「なら、逆に全部違う色にしてやれ! 子供同志、対抗心が出来ていいじゃねぇか。ほら、早くしねぇか。俺は人を待たしてあるんだよ。」
土方にせっつかれ早々に十個の独楽を買って総司はもうかなり前を行く土方の後を追った。
土方がやって来たのはある料亭であった。門を入ると総司が驚きの声を上げた。その料亭の庭には一面に梅が咲いて春を匂わせているのだ。紅梅と白梅が入り乱れ夕暮れの色に染められている。土方が早く、早く、と総司を急がせた意味がようやく理解出来た。彼はこれを陽が沈まぬうちに見せてやりたかったのである。
「土方さん。 これは・・・・・・」
「おう 見事だろう。総司、この料亭の御自慢の庭よ。たまにはこういう風流もいいもんじゃないか。」
「もしかして、土方俳句仙人のありがたい俳句が聴けるんですか。そのためにわざわざ私をひっぱって来たって言うんじゃないでしょうね。」
「ばかやろう! そんなんじゃねぇ。入るぞ! 」
一句ひねろうと考えていたのを見透かされて土方が体裁悪さに総司を怒鳴りつけた。図星だったと総司が大笑いをしながら、それでも一応は土方に謝りつつ後に続いて玄関へ入った。
離れに通されることになり長い廊下を奥へ奥へと進んで行く。庭園の梅は白梅は夕焼けの色に染まり、紅梅はより一層赤くまるで血の色のような見事な朱色になっている。総司はこの梅を横目にしながら土方の後を行く。いきなり、こんな所へ自分をお供にするようなことは、かつて一度もなかったことである。土方が料亭に行くときは必ずひとりであって、けっして試衛館の仲間であろうと連れだって行くことはない。いつも一人静かに酒を口にすることを好む男で静寂や孤独に安心を感じる人間なのだ。総司が考え込みながら歩いていて、ふと気付くと庭園はすっかり暮れて白と紅の梅は闇に溶け込んでしまうところだった。
「残念だな、"せっかくの 梅も闇には 負けにけり" というところだな。総司。」
土方の声に総司は我に返った。あやふやな相槌を打とうとして口を噤んだ。仲居が離れの障子を開けると、そこには松本良順が座していたからである。
「松本医師、遅くなりました。こいつがちょっと寄道をしたもんですから。」
「いや、俺も今来たところだ。沖田くんも一緒か、」
松本は目敏く土方の背後に隠れていた総司をみつけて、自分の横に来るように手招きした。一瞬、どう対処していいのか分からず土方を見るといつもの表情でいつもの口調で言葉を綴る。「先日 健康診断でお世話になったんで、御礼にと医師をここへお呼びしたんだが、俺は口下手でどうもいけねぇから、おまえを呼んだまでのことよ。」
「なぁんだ。それならそうと最初から教えてくれればいいのに、医師とお逢いするんなら一張羅を着てこなくっちゃ。」
眼前に松本を認めた瞬間に、もしや、自分の身体の異変を探し出されてしまったと思った総司は土方の言葉に安堵した。自分のことはどうやらだま騙しおおせたと思ったのである。
ほろ酔い気分の松本が玄関から出て来た。側には危なっかしい足取りの良順を助けようと総司が添い歩いている。土方はまだ中から出て来ない。か ご 加籠が料亭の入り口で待っているので良順は先に出て来たのである。
「沖田くん。今度はふたりで来ようや。どうも副長は無口でいけねぇな。堅苦しくて俺には向きじゃねぇよ。先に帰ぇるから『ごちになった。』と言っといてくれ。約束したぞ。きっと付き合え! 」
「はいはい 医師。きっと付き合いますよ。お気をつけて、」
土方が外へ出た時には、すでに良順の姿は無く、総司だけが待っていた。気の早い医師だ、独り言のように総司に言うとはなしに呟き、歩き出した。戌の刻を半刻程過ぎているこの時間には家々の扉は固く閉ざされて明りも見えない。ただ、うるさいほどの星が夜空には輝いている。そんな中をふたりが何も言わずに足音だけを響かせて歩いて行く。白い息が闇に広がり消えていく。このまま、自分の病気が局長や土方に発覚せず、斬り合いで苦しまずに逝ければ・・・・総司は空を仰ぎ見ながら考えていた、とそこへ『総司』と土方が呼び掛けられてギクリとしながら応えた。
「明日も晴れるようだ。おまえは非番だったな。」
「ええ、近所の子供達にこの独楽をやらないと・・・」
「・・・ったく。困った奴だ。ちったあ、色っぽい話のひとつやふたつ作ってみやがれ! 」
「でも、副長を差し置いては出来ませんからね。」