玄海・流浪放置概観
風が吹けば波がたち、波が伝わるとまあるく広がる、だから波風立てぬように行動するのが良いとされて四半世紀ずっと守り通してきて、ついには気づく、それぞ失敗の理となん言いける。波を5遍に1度はたてて茶化して生きつべし、無風にてはあらぬまじ。
坊主として生きるもまた、一つの選択といえるも、その中には何をか危ぶまれることもある。流行などを知らぬ生き方は、俗世に迎合するも難しいことだと。兼好法師(卜部兼好)は世に分けいってなん道理を知れる。しかしながら世俗にぽつんと取り残されて無情の中で生きている、それが自分の存在かと。まるきり取り残されて後悔はないのかと。
「そちらにいるのは白城殿かな」
「あなたより年下ですよ、玄海さん」
「まあ、よいではないか。…ときに宗教というものは馬鹿げているのだろうか」
「生きているだけで十分馬鹿げているでしょう、人間は。その中で生きる・死ぬことの意味を考えているならば、つまりはそういう健全な宗教ならば、…哲学者と同等にたって良いのではないでしょうか」