ダークネス-紅-
しかし、蘭魔は狼狽えることなく、愁斗の描いた魔法陣を自らの元として描き換えた。
「闇蟲の一種か、戯れにすぎん。真物には遠いぞ愁斗!」
〈それ〉が鳴らした音か、唾を啜るような下品な音が耳にへばり付き、魔法陣の?向こう側?から巨大な影が飛び出した。
飛び出た影は赤黒くいぼが多くあり、舌か触手のようにグロテスクであるが、この世界にはないモノなので形容しがたい。その部位が闇蟲を掻き取るように呑み込み、一匹も残さず?向こう側?へ連れ還ってしまったのだ。
辺りは二人がいるというのに静寂に包まれていた。沈黙ではなく静寂だ。
静寂を破る蘭魔の足音。
「この一〇年以上もの間、おまえはなにをしていたのだ?」
蘭魔は紫苑の目の前で足を止めた。
紫苑の手は下がってしまっている。
「D∴C∴に復讐を誓い、技を磨いたつもりだった」
「お前には失望させられたぞ。お前と共に真理を掴もうと思っていたのに実に残念だ」
「真理なんて僕には関係ない」
「真理はこの帝都と紫苑が握っている。紫苑が黄泉返る日も近いぞ」
「なんだって!?」
これほどまでに驚いたことがあっただろうか。愁斗はそれを実現させようと、ありとあらゆる手段を講じたが全て失敗した。だが、蘭魔は紫苑の黄泉返りを予言したのだ。
「?金剛?の話を思い出すのだ。あの面作り師が彫った面を被った者は?それ?と化す。紫苑の面を作り被せれば、紫苑は黄泉返るのだ」
「違う、それは別の、母さんの仮面を被っただけに過ぎない」
「面を被った者は真物となるのだ。しかし、面作り師はもうこの世におらん。自ら腕を斬り使い物にならなくなったので私が冥府に送った」
面作り師――それはあの姉妹の父であった。
紅葉と呉葉の復讐の相手、それが愁斗の父だったとは、なんという皮肉か……。
蘭魔は話を続ける。
「しかし、面作り師には二人の子供がいた。殺さずに見逃してやった姉妹だ。血は必ず姉妹に受け継がれているはずだ」
「その姉妹は見つかったのか?」
「所在は全く掴めておらんが、私の勘がどこかで生きているとは囁いている」
「貴重な情報をありがとう……父さん」
紫苑の躰の周りを魔気が渦巻いた。
父――蘭魔は倒さねばならない敵だと確信した。
残った片腕から紫苑が妖糸を放った。
輝線は一直線に蘭魔へ向かい、一メートルもないこの距離で躱わすのは不可能と思われた。
蘭魔の手からも三本の輝線が放たれる。
――その手が腕から落ちた。
紫苑の執念の一撃は蘭魔の腕を落としたのだ。だが、妖糸はその先にたどり着くことなく蘭魔の妖糸によって切断された。蘭魔の首は取れなかったのだ。
そして、蘭魔の放った三本の妖糸は紫苑の妖糸を切った後も勢いを弱めることなく、紫苑を斬った。
「よくぞやったぞ愁斗!」
高笑いする蘭魔は切断された腕を手で押さえていた。その手の隙間から零れ落ちる闇色の液体。
紫苑の躰も切断された胴と胸と首から闇色の液体が噴出していた。それは〈闇〉だった。液体だった〈闇〉が気体となって、悲しい叫び声をあげながら風のように飛び交う。
核を壊された紫苑が〈暴走〉をはじめたのだ。
――意識が途切れた。
紫苑を通して見ていたビジョンが切断され、リアルに引き戻された愁斗は暗い自室で吐血した。
口を押さえる指の間から血がとめどなく零れ、モニターやキーボードにぶちまけられた。
そして、愁斗は椅子から床に転がり倒れ、口から吐き出された黒血に横顔を埋めた。
作品名:ダークネス-紅- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)