笑顔
「お前は何を見つめている」
「空を」
「その空に何が見える?」
「川……」
「その川に?」
「行きたい! ……でも……いいのかな?」
「いいんだよ。ほんの少しの勇気があれば」
「そうだよね。私頑張ったし……でも、どうしようもなくて……もういいよ。うんざりだよ。あそこに行けば、もう何も考えなくて楽しく過ごせるのかな」
「そうだよ。楽しいよ。あそこは」
「そっか……私も死ぬんだね」
「ためらっているのか?」
「そう見える?」
「見える。もしかしてお前が死んで、誰かが悲しむと思っているのか? 自意識過剰だね。そんなちっぽけな命が消えたところで、この世の中は何も変わらない。そんなもんだ。それよりもお前が死にたいかどうかだよ。問題は」
「そうだよね。みんな悲しむとふりをするだけだよね」
「だから、早く死んでくれよ」
「分かった……行くよ……でも、痛いのはちょっと嫌だな」
「何言っているんだ? 痛いのがいいんじゃないか」
「そうなの?」
「これから死ぬんだという実感がわくからな。お前……馬鹿だな」
「…………」
「いいものを用意した。感謝してくれ」
「何?」
「ノコギリだよ」
「どうして?」
「当たり前のことを聞くなよ。これでお前の首を切断するんだ」
「いや……」
「お前知っていたか? ノコギリって切るんじゃない。えぐるんだ。肉片をえぐり出して徐々に切れていく」
「いや…………」
「血は飛び散り、血管、筋肉、骨……全てがずたずたになる」
「いやぁぁぁぁ!!!」
「お前、五月蝿い。贅沢言うな」
「そんなの嫌!! もういい……もういい……死ななくていいから!!」
「逃げるな。椅子に座れって」
「だって……いたい! そんなに強くつかまないで!座るから!」
「折角お前の為に用意したのに……恩知らずだな。逃げようとするしな」
「死にたくない! もういいの! あっちいって!」
「お前、カスだな。生きることも死ぬこともできない。どっちにするかはっきりしたらどうだ?」
「…………」
「今、死ぬのをやめてどうする? 死ぬのが怖いから、生きます。地獄に戻りますってか? お前マゾか?」
「ノコギリで首切られるのを喜ぶほうがマゾじゃない!」
「ん? 地獄から脱出できるんだから、むしろ気持ちいいんじゃないか?ノコギリのほうがな」
「……痛くない死に方ってないの?」
「しょうがないなぁ。ナイフだ」
「ナイフ?」
「これ案外痛くないんだよな」
「本当?」
「ああ」
「……やってみる……うぐ……」
「甘い! そんな浅い傷じゃ精々静脈が切れて終いだ。死ぬには動脈まで切り落とす必要がある。手首を切断するぐたい思い切って切らないとな。俺が手伝ってやろう」
「あーー血が……流れている。あーー赤い……赤い……何か……痛くない……気持ちいい。流れている……赤い血が……止まらない」
「そうだな」
「これで……いいんだよね?」
「いいんだよ」
「でも……悲しいの」
「どうして?」
「悔しいの……」
「どうして?」
「いやだ……」
「……ふふ……どうして?」
「死にたくない……」
「ふふ……はははは……どうしたんだ?」
「止まらない……血が止まらない……止めて……早く……笑ってないで……止めて……お願い……止めてよ! 死にたくない!」
「もう遅いね。いくら手で塞いでもこぼれ落ちる。お前は、死ぬのが待つしかないんだよ」
「どうして……そんなことをいうの?笑いながら……あんた私見方でしょ?」
「そうだ…………死んだか? くっくっくっふふふふふはっはっはっは!!!」
男は女が息絶えたのを確認すると、満面の笑みを浮かべながら女が見下ろした。満足そうに女が見上げていた空を同じように眺めると静かに消えていった。