偽善者賛歌11「蹴球」
討論は野球ではなくサッカーである。ディベートはサッカーではなく野球である。普段似たものとしてみてしまう二つのものだが、前者は割り込んで意見を言えるのに対して、後者は相手の番は相手の番であり、自分たちの番は自分たちの番として明確に分かれている。政治という系統の物は本来野球であるべきところだが、結果的にはサッカーとなっているところがある。
なにもサッカーが悪いとはいわない。聞く側にとってマンネリ感を押さえられるという意味においてずっと興奮し続けられる物であればそれは討論のほうがいいではないか、ということになってくる。ケース・バイ・ケースという奴だ。一方野球はどこが重要で、どこがどうでもいいのかわかるから、話し合いが迷走することもなく、暴走もしにくいので好まれる。
さてあの日、彼女と取り交わしたのはディベートではなかった。討論だ。もしかしたら話の内容をすり替えられて、てっきりごまかされてやしないか、とまあそういう意味では吟味するべき必要性を感じる。ということだが、現実問題討論の方が、人数も少なくてすむし、なによりもディベートというものはちゃんとした取り決めの元に行えないのなら、まったく意味がない。
もしも仮に聞きたいことを聞けない(=すり替えられる)ようなことがあれば、そのときは非常に危険だ、と断言できるだろう。
哀憐と再びはなす準備をたてなくてはならない。ちゃんと相手の意見を聞き出せる環境下で。
作品名:偽善者賛歌11「蹴球」 作家名:フレンドボーイ42