ながい髪
(まただ…)
50センチはあろうか、長い黒髪がブラシには巻き付いていた。
心当たりがない訳ではない。いや、もしろ逆だ。
肩まで伸ばした茶髪に端正な顔立ち。男はかなりもてるほうである。言い寄って来
た女性も多いし、現に今も二股をかけた女のマンションから朝帰りをし、身支度を
していたところである。
「――あの女、こんなに髪が長かったっけ?」
男はからまった髪を洗面所に投げ捨てた。
男は女癖が悪いのは変わらなかったが、いつからかセミロング、ショートヘア女
性とばかり付き合うようになった。時には無理やり髪を切らせることすら。それで
も…
するり。
「なんだよ! どいつの髪の毛なんだ?」
髪をすくブラシや指にからまる長い黒髪。男は日増しに神経質になっていった。ナ
ンパや合コンの回数が減り、逆に盛り場に悪友と行く回数が増えていく。そんな
時、遊び仲間が酒場でひそひそ話すのが聞こえた。
「×××、あの子やっぱり自殺なんだってな。」
「ああ、あの長い髪の…」
「!」
男は二人につかみかかるように女のことを聞いた。
「な、なんだよ、お前が前に付き合っていた子じゃないか」
「振られたせいじゃねえの?」
思い出せない。
確かにそんな女もいたが、顔すら覚えていない。平凡な、特徴もない、ありきたり
の…だが、確かに見事な黒髪だった。それだけは記憶にある。男は息せききってマ
ンションへ戻った。言いようのない不安感、恐怖。ドアの鍵を閉め、顔を洗い、ば
りばりと髪をかき乱す。
(いったい、なんだってんだ!?)
そんな髪の毛しか特徴のない奴なんか、振られて当然だし、忘れられても仕方がな
い。そう思い込もうとし、自分の茶髪からかき乱した指を抜く。
ずるり。
黒髪が大量に引き出された。
「う、うわあああああ!」
男は必死にからみつく黒髪を引き抜こうとした。
ずるり、ずる。
震える手にそれは生きているかのようにまとわりつく。どうして捨てるのか?、と
非難するように。
「ひ、ひ、ひいぃッ! だ、誰なんだよ!」
男の悲鳴が絶叫に変わる時。
ずるうり。
男の頭部から、黒髪とともに女の頭部と、額と、恨めしげな目をした顔の一部が現
れた。
男は思い出した。「それ」が誰で、どんな顔をしていたかを。どれだけ髪を大事
にしていていたかを。髪の毛だけに執着する女に嫌気がさして、ひどい悪態をつき
女を捨てたかを。
崩壊する意識のなか、男は思い出した。
<終>