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その手の中にある永遠

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それが夢なのだと、私にはわかっていた。
私はベッドの上に横たわっていた。
そこが何処なのかもわからない。
ただ、そこにはベッドがあって、私がいた。
意識は驚くほどにはっきりとしていた。
だが、声が出ない。
肺から息を吐き出し、喉を震わせるも、私の耳には音が届かないのだ。
いくら声を振り絞っても聞こえない。
何故か、耳が聞こえないのではないかとは少しも思わなかった。
意志表現の一つであり最大の手段を奪われたのだ。
どうすればよいのかと私は戸惑った。
もちろん、伝える相手がいないのであれば声が出せても意味がない。
でも伝えるべき相手はちゃんといた。
それを私は知っていた。
気づいた時には『彼』は私の上にいた。
影でしかないけれど、私はその人が男性だとわかっていた。
重みはないのに伝わる熱が『彼』の存在を主張していた。
その時、ようやく私は自分が服を着ていない事に気がついた。
肌の上に一枚シーツを被っているだけのようだ。
不思議と羞恥心はなかった。
どちらかというと、ひどく穏やかな気分だった。
見られていても、私は全然構わなかった。
『彼』も気恥ずかしさなどは一切感じていないようだった。
二人でいるのに、私の体は一人で部屋にいるかのようにリラックスしていた。
『彼』が手を伸ばしてくる。
その手が白いことが何だかとても印象に残った。
女性のような柔らかい曲線ではなく、骨ばって硬そうな男の手。
顔も、どんな格好をしているのかもわからないのに、手だけはやけにはっきりと目に映る。
少しだけ骨が突き出ているような指の関節も、手の甲に並んだ細かい四角形の肌理も、幾重にも渦を巻くような指紋も、掌の大小様々な皺も、白い肌に浮かぶ青々とした血管も、私の目には全てが見て取れた。
『彼』が笑いながら何か言ったような気がした。
私も笑って、少しだけ頷いた。
手が私の頬に触れる。
少しだけ冷たい手。
荒れてはいないけれども手入れもしていないようなカサついた掌が、優しく頬を撫でる。
壊れ物を扱うかの様な丁寧な仕草で、頬に掛かっていた髪を一筋、指先で退けた。
髪はベッドシーツに散らばる他の髪の上に落ちて混ざった。
掌はゆっくりと頬を滑り、顎の稜線を辿って降りてゆく。
触れられている感覚はなくて、温度だけがその存在を私に教える。
少し低かった掌の温度が、私の体温に緩んでゆく。
このまま掌から少しずつ私の中に溶けてしまうのではないか。
普通ならありえないことでも、夢の中に現実の理は当てはまらない。
まだ違う体温の手が骨ばった指先から私の皮膚に飲み込まれてゆくシーンが頭に浮かぶ。
体温が同じになった二つの皮膚が別個の個体として存在することを止め、同一になる事を選ぶ。
そして最後には私の体に『彼』の体も意識も全部溶けて混じってぐちゃぐちゃになってしまうのだ。
その想像はおぞましくありながら、何故か惹かれるものがあった。
幼い頃に美しい蝶を見つけて追いかけた日に似ていた。
蝶とて所詮は虫に過ぎないのに、翅の美しさに惑わされていたあの頃の感情に。
けれども『彼』の手は溶けてなくなることもなく、私の肌の上を滑ってゆく。
やがてその手は私の首をぐるりと包んだ。
指が顎の下に入り込み、掌が私の喉を圧迫する。
首の回りが少しだけ重い様な違和感と、あの温度だけがあった。
段々と、首に掛かる圧迫感が増してゆく。
途中、苦しいかと聞かれたような気がしたので、私は素直に首を横に振った。
『彼』が嬉しそうに笑った気がして、私も顔を緩めた。
何故だかとても幸せだった。
苦しくはないけれども、意識は薄れてゆく。
目の前が霞む。
――溶けるのは『彼』じゃなくて私だったのか。
僅かな意識が笑う。
体の感覚も何もかもが、全て溶けてゆく。
足も手も胴体も、先の方からすっと消えてゆく。
抵抗する気にはなれなかった。
それがとても素敵なことだと私は思ったから。
『彼』の体温がじんわりと手から沁み込んでゆく。
境界が滲んで消える。
『彼』が触れているはずの首さえもなくなっていく。
私が私でなくなっていくような感覚。
あぁ、 お ぼ   れ     る

瞼越しに朝の日差しが突き刺さる。
閉じたカーテンの隙間から差し込んでいるらしい。
枕元に置いてある携帯を開くと、いつもより早い時間に目が覚めてしまったことが分かる。
携帯を操作して目覚ましのアラームを解除した。
ベッドの上で上体を起こして、ぐっと伸びをする。
首と背中がぱきりと小気味よい音を立てた。
ふと夢を反芻して自分の体を見ると、ちゃんとパジャマ代わりのシャツとハーフパンツを身につけていて、少しだけ安堵した。
一人暮らしとはいえ、起きたら全裸という事態は流石に遠慮したい。
寝起き独特の倦怠感をそのままに、私は立ち上がって洗面所へと向かう。
廊下を歩く足がふらついている。
足の裏へと直に突き刺さる冷たい感触に、スリッパを忘れたのだと気づくが、ベッドに取りに戻るよりも顔を洗うことの方が先決だった。
洗面台の前に立つ。正面に取り付けられた、そう大きくもない鏡に自分の寝ぼけ顔が映り込む。
前髪が濡れることも構わず、捻った蛇口から吐き出される水を手で掬って顔いっぱいに浴びた。
澄んだ冷たさが意識の覚醒を促す。
洗顔フォームに手を伸ばして、目の端に映った鏡に違和感を覚える。
正しくは鏡に映ったものに、だった。
さて、何がおかしいのかと鏡をまじまじと覗き込むと、違和感の原因はすぐにわかった。
むしろ我ながら何故気づかなかったのかと思わずにはいられないくらい、あからさまだった。
首全体を覆うような青黒い手の跡。
自分の手をその跡に重ねてみる。親指と人差し指が顎の下に入り、喉が掌で覆われる。
鏡の前で首を絞めている形になった。
少し滑稽だ。手の間から変色した肌が覗く。
大きさが合わない。
寝ている間に自分で自分の首を締めていたわけではないようだ。
どれぐらい経っただろうか、自分の感覚的には少しの時間、ぼんやりしてから私は時計を見た。
――ああ、仕事に行かなくちゃ。
どうにかこの跡を隠さないといけない。
包帯なんて無いからコンビニで買わないと。
それまではストールを巻いておけば大丈夫だろうか。
――あの夢の人は誰だったのかしら。
見覚えも心当たりもないけれど、何となくもう一度会うことになるような気がした。
もう一度会った時、何かが終わるような予感がする。
それが何なのか、深く考えてはいけないと思った。
そろそろメイクをし始めないと会社に間に合わない。
朝ごはんを諦めて、私は化粧ポーチに手を伸ばす。
作品名:その手の中にある永遠 作家名:真野司