主人を殺した日
ふわふわとした気持ちで髪の天辺から指の先のささいな毛細血管までが惰性していったような気になる。身体が重たくずっしりとしたただの肉塊になってどろりと赤い蚕巻の上に横たわる。考えることも、呼吸することすらもわずらわしくて、ただただ頭の中に鈍色の空が広がる。“飼い主”はもう出て行った。懐古趣味とでも言うんだろうか、鶴だの虎だのが舞い踊る屏風や、刀、古伊万里だのの古いものが並ぶ。マニアが見たら嬉しいのかもしれないけど、俺から見たらただのガラクタ。
時代錯誤もいい所の旦那様は、この地球温暖化と文明化の進む21世紀の現代社会で、大正ロマンだなんていう雅な性癖を捨てきれずに夢と現実の間を俳諧して生きている。まあ、その手の時代小説を書く作家だと本人が言うのだから、それでいいのだろう。けれどこの部屋にはパソコンや電話、テレビなどの下界と通じる文明器具は一切置いてない。田舎の私有地の山奥の屋敷。俺は知っている。この山をぐるりと囲む柵の事。死んだペットをこっそり埋葬に来るだとか、カブトムシを取りに来るだとか、本物と見間違うような装備で戦争ごっこをするミリタリーオタク達が入れないように、わざわざぐるりと立派な柵で持ってして、番人まで用意して守る彼の聖地。くだらない。くだらない事だらけだ。
俺には靴も、金も与えられてはいなかった。遠くまで逃げ出せるほどのものは何も持っていなかったし、俺は彼の夢の中の人間だから、所詮社会とは無縁に生きているうちに、自分でも自分というものがどうでも良くなった。
漆塗りの丸い木枠の中を、金魚が泳ぐ。中国から輸入してきたという金魚は、ひらひらと真っ赤なフリルを揺らし、まるであでやかな女のようだ。俺もこいつも大差はない。ただ夢の中で飼われているだけ。それでもいいと思った。この生活にそろそろ惰性を覚えていながら、しかしそれでも良いと思えた。大日本帝国。華族に貴族に伯爵家。夜行会。ビードロ。文学。遠くから鳴り響いてくる我が国軍の勇ましい足音。ススメ、ススメ。紳士淑女たらん我が国民よ・・・、と。
――――――――ああ、あいつはそんなものに取り付かれていれば良い。ずっと。何も気がつかないままで。
もう俺達は百年も、ここで時代錯誤な雅なお遊びをしているのだけれど、旦那様の魂は一向に気がつかない。いつまでたっても夢うつつの中でとろとろとその魂をとろけさせて魂ともなんとも言えない存在へと透過していく。きっともうすぐすっかり消えてしまうだろう。
目を開ければやはり、ここには何もない、ただの荒れ果てた山林が広がるばかりだった。