はっぱとわたし
手首を切ったら迸ったのは数字だった。おかしいなあまりわたしがばかだから腹が立って頬や胸やあなうらなんかを貫いたらどうなるかしらんと思い立ったはずなのに、ばかなわたしのなかからは数字が落ちてくるのか。考える間にもぱくり口を開けた手首から明朝体やゴシック体の1や2や3が湧いては落ちていた。わたしの中身は赤くさえないようで小さな数字は活字らしい黒色をしていた。虫の群れのようだった。自重でぞわぞわ流れてゆく彼らは、すぐに床を埋めわたしの手足をも埋没させる。失数の致死量は何リットルなのか、そもそも数字を計量する単位はリットルでいいのか、答えが出せない。ばかだなあ。
今度は首を試みた。切りつけられた首はしくしく泣いた。涙が近くにある数字をいくつか滲ませた。制服のワイシャツもしとどに濡れた。ブレザーにまで染みてしまったら上手に塩味を取ることができるだろうか。海はあまり好きではないのだけれど。首は切りつけられると泣くのねえ、ひゅうひゅう掠れた声になってしまったがどうにか言うと、何しろあなたは痛くなくてもあたくしは痛いんですもの、と首筋が答えた。なるほどそれはごめんなさい。わたしはわたしの責任さえ取れないのか、ばかだなあ。
今度は腿を試みた。腿は数字に埋もれていたからまず探すのに手間取った。プリーツスカートをめくって平らかな肉へ包丁を差し入れると砂を切ったような軽い手応えだった。傷口というよりひび割れができた。ひびの間が僅かに光ったかと思うと発芽した。双葉の間からあっというまに茎が伸びて本葉が繁った。大きな葉には、‘EAT ME’とあるのだった。ナイフで書き付けたような荒っぽいアルファベットが隙間なく並んでいた。肉色をした花のほうが見た目には美味しそうなのだが食べて欲しがっているのは葉のほうなのだった。仕様がないので花弁の奥に指を差し入れ蜜を探った。身悶えるように葉が揺れる。揺れる一枚を捕まえる。指に絡んだ蜜をジャム代わりにつけて食べてやった。若い葉の苦みとほのかな甘さを繰り返し繰り返し噛んだ。瑞々しさを歯と歯で潰し、飲み下す。ぐちゃぐちゃがぬるぬると喉を這い下りる。なんとも可憐さを欠いていて芋虫を丸呑みしている気分になった。最後の一欠けらがなくなりこれで満足だろうと見ると、千切れた葉のうえでアルファベットが形を変えていた。‘EAT ME MORE.’
「調子に乗るな」
肌との接合部を掴んで引き抜いた。案外に深い根っこと鈍色の毛細血管がつながったままずるずる出た。と同時にわたしの体はたくさんのたくさんのビー玉になって崩れた。かしゃんという音ひとつであっけないものだった。
「おかえりい」
目と口とを三日月のように細めて笑いながら、男は言った。
「やあお前ときたら揺すっても叩いても駄目なんだもの、どうしようかと思ったさ。良かった良かった目が覚めて」
辺りにはもう群れる数字も貪欲な葉も見あたらなかった。体もかすり傷一つなくよく動く。ボタンを掛け違えたような気持ちの悪さだった。しかし大丈夫、問題ない、と適当に答えたら男も適当に納得しているようだった。
「どうする、もう一回する? 今度は加減に気を付けるよ」
なんて空々しいにやにや笑いだろう。
「――そうだね、しようか」
大きく口を開ける。何もかもをくわえ込むように開ける。あははは正直だなあ駄目な子だなあ、男は舌の形を舌でなぞりながらとめどなく笑い続けた。
おれの世界は偽りばかり、ハッパの味だけがほんとうなのだった。