お盆
今年の夏に、やけに少ない台風が北上して来た。とはいっても、日本海を北上したので、被害はない。時たま、ゲリラ的な雨が襲ってるだけだ。世間的には、盆休みの期間だが、俺の旦那は公務員で、俺はサービス業というものだから、その休みはない。どっちも、いつも通りのタイムスケジュールをこなしている。
金曜日は、雨だった。予報通りの豪雨で、ビルの窓にも雨がかかるほどの横殴り具合だった。こういう日は、客足は伸びないから、事件や騒動の報告はない。それに、売上も少なくなるから、日報のチェックも楽なものだ。
・
・・・・・・そういや、お盆やなあ。・・・・・・・
・
ふと、カレンダーの曜日で、それを確認したものの、これといって、俺には関係ない。墓参りする場所はあるが、まあ、骨しかないので顔を出すこともなかろう。祖母の骨は、ほとんどがボロボロになっていて、ほとんど残っていなかった。辛うじて、喉仏は判別がついたと記憶している。俺の一応の家族は、それを菜箸で摘まみ上げて骨壷に収めていた。俺は、それを少し離れたところから見ていただけだ。煙になって骨になって、もう、ばあさんはいなかった。これで、ようやく、縁は切れたと安堵した。ばあさんは、生前に、お盆には死んだ人が里帰りすると言っていたが、それから、一度も、俺は怪奇現象に遭遇していないところをみると、どうやら、あっちで、じいさんと仲良くやっているらしい。だから、そんでええんやろうと、俺は何もしていない。俺の旦那のところは、まだ死人が出ていないから、そういうものはやっていないと言う。もちろん、じいさんばあさんは鬼籍に入っているが、本家が別にあって、そちらでやっているらしい。だから、うちには、お盆というものはない。
ざーざーと勢い良く降る雨は、夜まで、そのままだった。帰り道の川は、増水して茶色の水が流れている。それを、ぼんやりと眺めていたら、少しスーツが濡れた。むわぁっとした湿気が纏いついて、スーツは内側からも汗で濡れているので、もう今更やろう。
・
「おかえり。」
「・・・うん、ただいま。」
旦那のほうが帰宅が早いので、玄関のドアには鍵がかかっていない。開けて居間に顔を出したら、あーあーという顔で、旦那が近付いてきた。
「また、川の増水でも眺めてたんやろ? 」
「いや、自然の脅威っちゅーのは、すごいな? いきなり、一メーターも水位が上がるんやで? あそこにおったカメは流れてしもたんやろか? 」
雨が降る前に、川には、何匹かのカメが泳いでいた。こんな汚いとこにで、よう生きてるな、と、俺は感心していたのだが、さすがに、あの流れでは流されたはずだ。
「また戻ってくるか、どっかに避難しとるんか、はたまた、もっと上流のカメが流れてきやはるんか、まあ、雨が止んだら、また出てくるやろ。」
スーツを乾かすから脱げ、と、旦那は、せっせと俺から服を引き剥がす。ちょっと頭がぼんやりしているので、俺は、さるがままだ。そこで、抵抗が少ないことに気付いた旦那は、俺の顔を覗きこんだ。
「なんや? 」
「なんか、ぼーっとするんや。」
「・・・・・・水都、今日、お茶いつ飲んだ? 」
「茶? 今日は、冷コばっかり飲んでたわ。」
「いつが飲んだ最後なんや? 」
「え? 」
なんで、そんなこと思いださなあかんねん? と、俺が尋ねたら、はあーと、旦那は大きく息を吐き出した。そして、脱がせるのを中断して、ポカリを持って来た。
「これ、半分くらい飲め。」
「ああ? 」
「たぶん、軽く熱中症や。おまえのこっちゃから、どうせ三時ぐらいから、今ぐらいまで、なんも口にしてへんのちゃうか? 」
「せやろか。」
「電車かて、まだ混んでる時間やし、川の増水見て、ぼけらっとしとったんやろ? 」
「おう。」
「水分不足。珈琲は、水分ちゃうからな。まあ、それ、飲め。」
ほんまにもー、うちの嫁は、と、ぶつくさと文句を吐きつつ、旦那は服を剥ぎ取った。パン一にされて、そのまんま、食卓に連行される。
「今日は、スープカレーやから、がんがん水を飲みつつ食え。」
「はいはい。」
目の前には、温いところまで冷やされたスープカレーと、メシが置かれる。食欲がなくても食べられるから、夏にはよく出て来るメニューや。
「なんで、俺、ストリップなんよ? 」
なぜ、パンツ一丁て、メシ食わなあかんのや? と、首を傾げたら、旦那が、「どうせ、汗掻くから、そのままでええ。」 と、言う。
「てか、俺は、毎日、口が酸っぱくなるほど注意しとんやけどな? 俺の嫁? 」
「ちゃんと水分取ってるがな。」
「せやから、珈琲はあかんって言うたやろ? ほんで、どうせ、昼メシかて冷やしうどんだけやろ? そうなると、水分がないって。」
「今日は、オロシソバや。」
「一緒やっちゅーのっ。一日一本は、お茶のペットボトルを飲めって言うたやろ? 」
珈琲だけ飲んだことで、旦那は文句を言う。毎日のことだから、俺は気にしない。ちょっとスパイシーなスープカレーのじゃがいもと茹でタマゴを、ごすごすとスプーンで潰す。暑くなってから、俺の旦那は、熱中症対策に余念がない。旦那は、なんともないらしいのだが、俺が、たまにやられる。職場は、えらく冷房が効いているが、行き帰りが問題だ。寒暖差が激しいから、余計にまずいらしい。
「水都、聞いてるか? 」
「はいはい、ダーリン。大好きよ。」
ほぼ棒読みで、台詞だけ吐いて、潰したじゃがいもを食べる。カレーが染みたじゃがいもは、とても美味い。普通のカレーほど、とろっとしてないから、食べ易いのも有難い。どうも、夏は、メシを食う気がしない。
「明日から、水筒持っていき。全部、飲んでこいよ。」
「はあ? 俺は遠足行きの子供か? 」
「あほ、最近は、みんな、小遣い節約で持って歩いてんのや。なんなら、弁当もしたろか? 」
「いらん、腐る。」
俺を夏バテさせない旦那の努力というのは、俺から見ていても素晴らしいとは思う。思うが、そこまでせいでもええやろ、とは、内心で思う。
「抱き心地悪いねんで? おまえ。骨が刺さるんよ。」
「ほな、抱くな。」
「いや、そこやないて。今年も熱中症で死人出てるさかい、気にしてんのや。いややろ? 夏バテで熱中症で道端で行き倒れって。」
「それ、労災認定やろか? 」
「どあほ、俺のとこには降りてけーへんわ。」
旦那も、ごはんを、カレーに浸して口に入れつつツッコミしている。結婚はしているが、籍は入れてないので、労災の補償は、旦那のところには降りてこない。まあ、男同士やから、結婚もなんもないんやけど。
「しんどい死に方やなかったら、俺はええけどな。」
「しんどいんちゃうか? 」
「さよか、ほな、気をつけよ。」
「えーえー気をつけてくだされ、俺の嫁。まだまだ、生きててくだされ。俺、おまえがおらんと退屈で死ねそうな気がするで。」
「気をつけたる。・・・・・せやせや、花月。俺が死んだら、ちゃんと盆には顔出すさかい、ちゃんと迎えてや。」
「盆だけ? 愛想のない嫁やな。ずっと、俺に取り憑いとけよ。」
「ああ、せやな、そうするわ。」
金曜日は、雨だった。予報通りの豪雨で、ビルの窓にも雨がかかるほどの横殴り具合だった。こういう日は、客足は伸びないから、事件や騒動の報告はない。それに、売上も少なくなるから、日報のチェックも楽なものだ。
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・・・・・・そういや、お盆やなあ。・・・・・・・
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ふと、カレンダーの曜日で、それを確認したものの、これといって、俺には関係ない。墓参りする場所はあるが、まあ、骨しかないので顔を出すこともなかろう。祖母の骨は、ほとんどがボロボロになっていて、ほとんど残っていなかった。辛うじて、喉仏は判別がついたと記憶している。俺の一応の家族は、それを菜箸で摘まみ上げて骨壷に収めていた。俺は、それを少し離れたところから見ていただけだ。煙になって骨になって、もう、ばあさんはいなかった。これで、ようやく、縁は切れたと安堵した。ばあさんは、生前に、お盆には死んだ人が里帰りすると言っていたが、それから、一度も、俺は怪奇現象に遭遇していないところをみると、どうやら、あっちで、じいさんと仲良くやっているらしい。だから、そんでええんやろうと、俺は何もしていない。俺の旦那のところは、まだ死人が出ていないから、そういうものはやっていないと言う。もちろん、じいさんばあさんは鬼籍に入っているが、本家が別にあって、そちらでやっているらしい。だから、うちには、お盆というものはない。
ざーざーと勢い良く降る雨は、夜まで、そのままだった。帰り道の川は、増水して茶色の水が流れている。それを、ぼんやりと眺めていたら、少しスーツが濡れた。むわぁっとした湿気が纏いついて、スーツは内側からも汗で濡れているので、もう今更やろう。
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「おかえり。」
「・・・うん、ただいま。」
旦那のほうが帰宅が早いので、玄関のドアには鍵がかかっていない。開けて居間に顔を出したら、あーあーという顔で、旦那が近付いてきた。
「また、川の増水でも眺めてたんやろ? 」
「いや、自然の脅威っちゅーのは、すごいな? いきなり、一メーターも水位が上がるんやで? あそこにおったカメは流れてしもたんやろか? 」
雨が降る前に、川には、何匹かのカメが泳いでいた。こんな汚いとこにで、よう生きてるな、と、俺は感心していたのだが、さすがに、あの流れでは流されたはずだ。
「また戻ってくるか、どっかに避難しとるんか、はたまた、もっと上流のカメが流れてきやはるんか、まあ、雨が止んだら、また出てくるやろ。」
スーツを乾かすから脱げ、と、旦那は、せっせと俺から服を引き剥がす。ちょっと頭がぼんやりしているので、俺は、さるがままだ。そこで、抵抗が少ないことに気付いた旦那は、俺の顔を覗きこんだ。
「なんや? 」
「なんか、ぼーっとするんや。」
「・・・・・・水都、今日、お茶いつ飲んだ? 」
「茶? 今日は、冷コばっかり飲んでたわ。」
「いつが飲んだ最後なんや? 」
「え? 」
なんで、そんなこと思いださなあかんねん? と、俺が尋ねたら、はあーと、旦那は大きく息を吐き出した。そして、脱がせるのを中断して、ポカリを持って来た。
「これ、半分くらい飲め。」
「ああ? 」
「たぶん、軽く熱中症や。おまえのこっちゃから、どうせ三時ぐらいから、今ぐらいまで、なんも口にしてへんのちゃうか? 」
「せやろか。」
「電車かて、まだ混んでる時間やし、川の増水見て、ぼけらっとしとったんやろ? 」
「おう。」
「水分不足。珈琲は、水分ちゃうからな。まあ、それ、飲め。」
ほんまにもー、うちの嫁は、と、ぶつくさと文句を吐きつつ、旦那は服を剥ぎ取った。パン一にされて、そのまんま、食卓に連行される。
「今日は、スープカレーやから、がんがん水を飲みつつ食え。」
「はいはい。」
目の前には、温いところまで冷やされたスープカレーと、メシが置かれる。食欲がなくても食べられるから、夏にはよく出て来るメニューや。
「なんで、俺、ストリップなんよ? 」
なぜ、パンツ一丁て、メシ食わなあかんのや? と、首を傾げたら、旦那が、「どうせ、汗掻くから、そのままでええ。」 と、言う。
「てか、俺は、毎日、口が酸っぱくなるほど注意しとんやけどな? 俺の嫁? 」
「ちゃんと水分取ってるがな。」
「せやから、珈琲はあかんって言うたやろ? ほんで、どうせ、昼メシかて冷やしうどんだけやろ? そうなると、水分がないって。」
「今日は、オロシソバや。」
「一緒やっちゅーのっ。一日一本は、お茶のペットボトルを飲めって言うたやろ? 」
珈琲だけ飲んだことで、旦那は文句を言う。毎日のことだから、俺は気にしない。ちょっとスパイシーなスープカレーのじゃがいもと茹でタマゴを、ごすごすとスプーンで潰す。暑くなってから、俺の旦那は、熱中症対策に余念がない。旦那は、なんともないらしいのだが、俺が、たまにやられる。職場は、えらく冷房が効いているが、行き帰りが問題だ。寒暖差が激しいから、余計にまずいらしい。
「水都、聞いてるか? 」
「はいはい、ダーリン。大好きよ。」
ほぼ棒読みで、台詞だけ吐いて、潰したじゃがいもを食べる。カレーが染みたじゃがいもは、とても美味い。普通のカレーほど、とろっとしてないから、食べ易いのも有難い。どうも、夏は、メシを食う気がしない。
「明日から、水筒持っていき。全部、飲んでこいよ。」
「はあ? 俺は遠足行きの子供か? 」
「あほ、最近は、みんな、小遣い節約で持って歩いてんのや。なんなら、弁当もしたろか? 」
「いらん、腐る。」
俺を夏バテさせない旦那の努力というのは、俺から見ていても素晴らしいとは思う。思うが、そこまでせいでもええやろ、とは、内心で思う。
「抱き心地悪いねんで? おまえ。骨が刺さるんよ。」
「ほな、抱くな。」
「いや、そこやないて。今年も熱中症で死人出てるさかい、気にしてんのや。いややろ? 夏バテで熱中症で道端で行き倒れって。」
「それ、労災認定やろか? 」
「どあほ、俺のとこには降りてけーへんわ。」
旦那も、ごはんを、カレーに浸して口に入れつつツッコミしている。結婚はしているが、籍は入れてないので、労災の補償は、旦那のところには降りてこない。まあ、男同士やから、結婚もなんもないんやけど。
「しんどい死に方やなかったら、俺はええけどな。」
「しんどいんちゃうか? 」
「さよか、ほな、気をつけよ。」
「えーえー気をつけてくだされ、俺の嫁。まだまだ、生きててくだされ。俺、おまえがおらんと退屈で死ねそうな気がするで。」
「気をつけたる。・・・・・せやせや、花月。俺が死んだら、ちゃんと盆には顔出すさかい、ちゃんと迎えてや。」
「盆だけ? 愛想のない嫁やな。ずっと、俺に取り憑いとけよ。」
「ああ、せやな、そうするわ。」